ミニマリストの好き勝手。

ミニマリストのブログ。4LDKに1人で暮らす、精神科通いのゆる〜いセミプロのブロガー、セミプロガーのイカキム!

ミニマリストの父親は。ミニマリストの家族シリーズ。

休憩に入った直後、狙ったように店電話が鳴る。

イカキムですコンニチハ!

ミニマリストセミプロガーです!

 

 

Googleサーチコンソールを謁見すれば、「ミニマリスト&nbsp家族」ト検索されるコトが多いようです。

たぶん、ミニマリストの家族に興味があるのではなく、家族がいてもミニマリストになれるのかドウナノカというトコロなのでしょう。

 

そんな私(わたくしイカキムは1人暮らし。

家族の所有物はなく、ミニマルライフを満喫☆満喫☆

 

かと思いきや、母親の襲来でモノが減ったり増えたり、ソレと戦う日々なのです。

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これまで何度か、家族については語って参りました。

母にハジマり妹じーちゃんばーちゃんと。

1番アクセスが多いのは妹です。

 

何故なのか。

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それでも父は、父親については書かないだろうと私は思っておりました。

映画やドラマでよく観るような、酒を飲み交わすトいうコトもしたコトがごさいません。

 

べつに嫌いなワケでもなく、父は元気に生きておりますが、息子にとっての父親という存在は複雑なもので、息子が大人になった時、なんだかお互い妙に照れ臭いものではないでしょうか?

 

加えて、私は父に対して後ろめたいのです。

 

 

ミニマリストの家族の話。父。

 

草原の遠くに見える男親と子供。

 

 

モノを作る音は良いものです。

 

私も読者の『おぴお』氏のブログを拝見すると、2人の親子?が廃木材を使い、釘もリユースしながらアウトドアないろりやテーブルを作っておりました。

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釘を打つ音。ノコギリで木を切る音。

懐かしい音です。

 

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記憶に残る最も古い音。

ハジメテノオト。

 

釘を打つ音。

ノコギリで木を切る音。

 

 

私の父親は大工です。

 

父は父の兄と、建築業を営んでおります。

 

昨今、大工さんはドンドン数が減っているのだとか。

技術を持つ職人さんは、今や大変貴重だそうです。

 

 

幼い私は父が大好きで、ドコに行くにもついてまわっておりました。

自宅の隣が加工場でしたので、危ないから入って来るなと言われても、遠くから父を眺め、機械で木を削る音やカンナを滑らせる音、ノミを研ぐ音を聞いて育ちました。

 

現場にもついていきます。

父がハンドルを握る、スーパーカブの後ろに乗って行くのです。

 

トントンカンカン、家を組み上げていく父を見ながら、私は余った木に釘を打ち付けてみたり、ノコギリで木を切ってみたり、父の手伝い?をして遊びました。

中学に上がっても夏休みは父についていき、実際に手伝いをして、1日に五千円という中学生には破格の小遣いを貰っておりました。

 

 

中学からは後述いたしますが、幼き私にとって父は誇りでした。

大好きでした。

 

 

父は船舶免許を持っており、高知県は浦戸湾に小舟を浮かべてよく釣りをしました。

高知県浦戸湾。

高知県浦戸湾。

 

釣った魚は父が自宅で捌いて刺し身にし、家族で食べます。

母は魚を捌けないので、父がヒーローに見えました。

 

また、夜に母が家を空けるとき、父がいつも醤油と砂糖のすき焼きを作ってくれました。

最初に肉を焼き、醤油と砂糖をぶっかけて食べる関西風です。

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母はコレステロールがドウとか言って、卵は1個まででストップなのですが、母がいなければ制限なしで卵に浸けられるので嬉しかったのを覚えています。

 

 

また母のいないある夜に、父は私と妹を近所の居酒屋に連れていきました。

カウンターで足をぷらんぷらんさせながら、小学生にはあるまじき大好きな湯豆腐を頬張っていると、妹が私に話しかけます。

「お兄ちゃんっ!スゴイっ!」

 

口調からして私がスゴイのでないコトはわかり、妹が顔を向けているほうを見ると、父は聴覚障害者の人と手話で会話をしておりました。

父は耳が聞こえる健常者です。

手話を話す父がカッコよく見えました。

父の友人に聴覚障害者の方がおり、覚えたそうです。

 

 

私が小学生の高学年となる頃、父はしきりに勉強しろ本を読め!医者になるためにト言うようになりました。

カネ持ちでもカメ持ちでもいたらき持ちでもないのですが。

父の兄の娘で私と同い年、つまり従兄弟が高知県トップの進学校土佐中高等学校を受験すると言うのです。

 

父は昔から、自分の学歴にコンプレックスがあるようでした。

戦後間もなく父は産まれ、貧乏なさなか、働きながら夜間学校を卒業し学士を取得しておりますが、父の兄は一級建築士、父はその資格を持っておりません。

 

果たして従兄弟は土佐中学校に合格しました。

しかし私はその気がなく、母も学校の先生でしたが教育熱心なホゥではなかったので、父の目論見は藻屑と消えたのです。

従兄弟は現在大学病院で医者をしており、私との差が歴然なのはまた別のお話。

 

父の学歴コンプレックスを感じたのは私が中学の時でした。

その頃の私は思春期真っ盛りでバカばっかりやっておりました。

母の代わりに父が先生との三者面談に赴き、勉強をしない私に先生がこう言ったのです。

「イカキムくん?このまま勉強せんでかまんかえぇ(勉強しなくても良いのですか)?大学も出んとお父さんみたいに大工さんになるかね?」

 

三者面談が終わり校門をまたぐ頃、父は悔しそうに私に言いました。

「お前わからんかったがかや?俺は大学出ちゅうがぞ?なんで馬鹿にされないかんがな?必死で我慢したぞ。大学出てます言いたかったぞ。」

 

大学を出たからドウとか、出なかったからドウとかいう考えは悪習ですが、その時の先生は定年間近の人だったので考えが古かったのでしょう。

それでも、父は悔しそうでした。

 

 

中学を出て私は高校を、母と同じそれなりの進学校に進み、大学は推薦で受かっちゃったトコロを卒業し、そしてスズキのディーラーへ就職しましたが超絶ブラックで半年で病んで辞めました。

 

 

それから私は、幾つも幾つも就職しては辞めるを繰り返し病めては繰り返し。

 

そんなある日、父から電話がありました。

「おまん(お前、仕事は?

探しゆう。

「組合の人が人材を探しゆう。コンピューター使えるろぅ?エクセル・ワードが使える人が欲しいと。おまん面接に行けや。

んー?んー。

 

建設労働組合(建労)という組織があります。

詳しくは存じませんが、個人の大工さんが労働環境改善を図る組織のようです。

ソコの父の知り合いの人が労働者を探しているト。

聞けば昇給もあり休みも多く、賞与だってあるのだとか。

父はその頃、建労の書記長を担っており、多分北朝鮮の書記長と同じく建労ではそれなりの地位だったのでしょう。

書記長の息子さんならトいうコトです。

父は言葉を濁しましたが、面接さえ受ければ合格という様子でした。

 

 

そうして私は、履歴書は書きましたが面接の日、ソレには行きませんでした。

 

 

To Be Continued。

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イカキムでした!