ミニマリストの好き勝手。

ミニマリストのブログ。4LDKに1人で暮らす、精神科通いのゆる〜いセミプロのブロガー、セミプロガーのイカキム!

ミニマリストの息子と父は。ミニマリストの家族シリーズ。

もろきゅうって、もろにキュウリってコト!?

イカキムですコンニチハ!

ミニマリストセミプロガーです!

 

 

職場のシングルマザーさんの息子さんが、突然に「イカキムさん。」と発したそうです。

シンママさんは驚き桃の木山椒の木、あたりき車力よ車曳き(あたりきしゃりきよくるまひき)、私は息子さんに会ったコトが1度しかございません。

会ったというよりは、お互いに"見た"という程度なのです。

そして息子さんの前で私の名前を出したコトはなく、ナニコレ?パリコレ!

 

かねてより私は子供と不思議なツナガリがございます。

会って2度目の友人息子からパパと呼ばれ、パパがいる知人娘にパパと呼ばれ、私の名を知らぬシンママ息子はイカキムと呼ぶ。

 

 

私の父も、子供から好かれる気性の持ち主でした。

血なのでしょう。

鏡に映った自身の姿が父に見えるコトがある。

イカキムです。

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続きです。

 

野原ひろし。

 

 

(わたくしイカキムはミニマリストでありますが、私の父は対局にございます。

 

父の大工という職業柄、増改築の仕事もモチロンございまして、家主が処分するというモノを此れ幸いといくらでも貰って来るのです。

机にハジメリ椅子にチェスト、洗濯機を貰って来るコトもありました。

いまなお使われていない冷蔵庫も実家の庭に2台ございます。

 

大工道具や木材を乗せるトラックがございますので、搬送はお手の物なのです。

家にモノが増えるたび、母は父に文句を言います。

「もお~、いらんに貰うてきなさんなや!

 

それでも貰ってくるのです。

 

 

父は男ばかりの3兄弟の末っ子で、戦後間もなく貧乏な家庭に産まれました。

貰えるものは貰っておこう、タダより安いものはない。

そういう気質なのは無理からぬコトなのです。

 

昨今、大工さんは高齢化が進み、我が父も70歳も手前でございます。

個人事業ですので引退時期は自身で決めるのです。

先に引退した大工仲間から、使わなくなった大工道具をやっぱり貰って来るのだそうで。

 

「いらんとわかっちょっても、どうしても貰ってしまう。捨てれんがよ。

叔父の葬式で、そんなコトを父は知人に呻いておりました。

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私は20代の頃、就職しては病んで辞め、病んで辞めては病んで辞め、その繰り返しでした。

そんな私を父は見かねたのか、大工仲間のつてで私に仕事を紹介したのです。

 

面接さえ受ければ採用という様子でしたが、父の敷いたレールに乗ることを私は潔しとせず、履歴書こそ書きましたが当日に受けるハズの会社の門は叩きませんでした。

 

私は生意気にもプライドだけはイッチョマエで、親のスネは噛り尽くすクセに、コネを使って就職するというコトは嫌だったのです。

そして私は、まだ懲りずに自分は何者かに成れると信じて止まない馬鹿者でした。

 

当然、父からは怒涛のように着信がありましたが、もちろん私は出ませんでした。

父のはからいを足蹴りにし、顔に泥を塗ったのですから。

 

 

それから、父に会いづらくなりました。

 

 

私はフリーベーパーの営業をしてみたり、ファミリーマートの店長をしてみたり、なんとか食いつないでおりました。

そうしてある日、トある企業からプロブロガーになりませんかとメールをいただきました。

ブログ運営を生業とする企業が、プロブロガー向けのブログプランを選ばれし者たちに、いち早く紹介するというのです。

 

私はそれを機に、関東に移り住むコトにしました。

ブロガーにとってつながりは大切なのです。

より大手ブロガーさんとお近づきになるために東京行きを決意しました。

 

東京に行くことさえも父には伝えませんでした。

すでに3~4年は会っておりません。

それでも母から聞いたのか妹から聞いたのか、引っ越し当日にやはり父から電話がありました。

それでも、私は出ませんでした。

その頃、私は30歳で、今さら親がどうこうでもないだろうと思ったからです。

 

 

しばらくはブログ収益で生活しておりましたが、それも納め時となり、私は世の厳しさに打ちひしがれて高知へ帰ってきました。

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高知に帰ってきてからはずっとファミリーマートです。

私の歳も、30も半ばを見据える頃トなりました。

 

ある日、私は夜勤をしており、そして真夜中の休憩中に携帯が鳴りました。

父からです。

 

 

え゛

 

またどうせ、説教とか仕事は何をしてるんだとか、そんなトコロだと思い無視を決め込みました。

そうすると、留守電機能に切り替わったのです。

 

父が、留守電に向かって話し始めました。

少し、いや、だいぶ酔っ払っているようでした。

ろれつが廻っておりません。

 

「俺や俺~。誕生日おめでとう~。身体を大切にしてね~。お母さんを大切にしてね~。もうかまなぁや。おんしゃ(お前)が生きちょったらそれで。」

 

父はそう言って、電話を切りました。

 

 

その日は私の誕生日でした。

私はとんでもない父親の愛を感じて、事務所で人目もはばからず声を上げて泣きました。

 

こんなどうしようもない息子で申し訳ないと。

心配ばかりかけてすまないと。

 

大学まで卒業させてもらって、結婚もせず、孫も見せられず、何も成せず、30歳を超えて、夢破れてアルバイトなのです。

ごめんなさいごめんなさいと、何度も声にして謝りました。

それでも、面と向かって会いにいく勇気はありませんでした。

 

 。

 

 

 

父に最後に会ったのは、前述した叔父の通夜の時でした。

父は私の2つ隣に座りましたが、私に気が付いていない様子でした。

 

無理もありません。何年も、会っていなかったのですから。

 

シワは増え、背も縮んだように見えましたが、髪は真っ黒いママでした。

昔から、髪だけは老いない人でした。

 

 

お経が終わって、親族で食事をトいう時、やっと父が私に気付きました。

「なんな、おったがかや。

…うん。

「おんしゃ彼女はおるがか?

ん、んー…。

私は生返事ばかり繰り返します。

 

「今度彼女紹介せぇ。

…うん。

 

 

話をしたのはそれだけです。

 

そういえば、今まで女性とお付き合いしたコトは何度もありますが、父に紹介したコトは1度もありませんでした。

 

母は、私が彼女といようがいまいが勝手に侵入してくるので。

 

 

今度、もし私に恋人ができるようなコトがあれば、父に会いに行っても良いかもしれません。

 

 

イカキムでした!