ミニマリストの好き勝手。

ミニマリストっぽい人のブログ。4LDKに1人で暮らす、精神科通いのゆる〜いセミプロのブロガー、セミプロガーのイカキム!

I am Minimalist。

ミニマリズム、ライティング&マネタイズ、SEO多め。読者登録はサイドバー『プロフィール』から☆

人生とは何か。ミニマリストのブロガーが、"生きる"を考える。

人生とは、死ぬまでの暇つぶしである。

イカキムですコンニチハ!

ミニマリストブロガーです!

 

 

シゴトのお休憩中になれば、ブログを書かずんばいられない。

ただボーっとしてやり過ごすなんてコト、イカキムさんには耐え難いのです。

そういえばブログをやっていない時、私は休憩時間に何をしていたのダロウカ?いまさら思い出せません。ブログは私にとって、もはや生活の一部なのです。

 

 

さておき、今回は構成の並びに苦労いたしました。

 

誰しも人生について、生きるというコトについて、考えたコトはあると存じます。

 

(わたくしイカキムにだってございます。

私は精神を病んで社会に負け、いや人生に負け、もとい自身に負けてまいりました。

それでも、生きなければいけません。人生とは何か?また生きるとは何か。

 

今回は、これらについてのお話です。

 

ビルの中の人混み。

 

 

中学生の時、「人生とは何か」を一言で表してくださいと国語の先生が授業でおっしゃいました。

 

私は、「人生とは死ぬまでの暇つぶしである」そう答えました。

 

 

「人生は死ぬまでの暇つぶしである。」

コレを言葉にしたのは『みうらじゅん』さんであるという説が有力らしいのですが、ワリと皆が思いつきそうな言葉ではございます。

みうらじゅん。

みうらじゅん。

 

私の、この言葉の初見はマンガです。

『ダメおやじ』というマンガのある巻で、手作りルアーのお話がありました。ルアーとは魚釣りをする時の疑似餌のコトです。

物語の中で「手作りなんて単なる暇つぶしじゃですか。」という主人公である"ダメおやじ"の問いかけに対して、「たしかに単なる暇つぶしだが、人生も死ぬまでの暇つぶしに過ぎないのではないか。」尋ねられた人物は、そう答えるのです。

マンガの中でも、実在する外国の人が書いたルアー作りの本を引用されておりましたので、やっぱり皆が思いつきそうな言葉でございます。 

 

私はそれをそのままパクリリスペクトし引用したのです。

先生は私の答えを聞いて、「少し寂しいですね(´∀`*)」とおっしゃいました。

 

 

大人になった私はふと、その授業を思い出したのです。

「今だったら、なんと答えるだろう。」

 

そういえば、前日は筋トレをしたのでカラダがバギバキです。

だから今日はブログを休んでしまおうか。

そんなコトを考えていたならば、思いつきました。

 

 

私にとってブログを書くコトは、全く苦ではありません。

楽しい、大好きなコトです。

それでも休んでしまおうと考えるのは、疲れるからです。

 

 

好きなコトでも疲れます。

私は本を読むのが好きですが、長時間読むと疲れます。

私はTVゲームが好きですが、長時間遊ぶと疲れます。

私はカラオケが好きですが、長時間歌うと疲れます。

私は歩くコトが好きですが、長距離歩くと疲れます。

私は寝るのが好きですが、寝過ぎると疲れます。

 

食事はどうでしょう?

大食い選手の方は「食べるコトは体力勝負である」、皆すべからくそうおっしゃると伺いました。食べるコトだって疲れるのです。

実際、私の1日の食事回数は1回ないし2回です。

www.ikakimchi.biz

 

 

現代人は疲れているダトカ体力作りが必要ダトカ、そういう話ではありません。

 

生きるとは、疲れるコトだと私は思います。

生きるとは、日々疲れていくコトだと私は思います。 

 

現代人は疲れているダトカ体力作りが必要ダトカ、そういう話ではやっぱりありませんが、日本で人生に疲れて生きるコトをヤメる人の数は、世界で1番なのです。

それを増えすぎた消費文明のアポトーシス(決められた細胞の自殺プロブラム)だと言う人もおります。 


040709生物・アポトーシスの様子

 

指が5本に分かれているのも、水かきのような手の発生段階のあと、指になるはずのその間の細胞が死ぬからなのです。

私は生物学が不得意です。話を戻しましょう。

 

 

寝て起きれば、疲れは癒やされるではないか。そうおっしゃる人もいるでしょう。

 

しかし、考えてみてください。

完全に疲れが癒えるのであれば、老いなどないのです。

1日1日では差が小さすぎて気付かずにおりますが、歳を取ってふとした拍子、若い頃には出来ていたコトができなくなっていて、そうして私たちは思うのです。「自身も老いたものだなぁ。」

私たちは確実に、また着実に、死に向かって老い疲れるのです。

 

 

人は、いつか死にます。

人はいつか、老いて死ぬのです。

これは、抗えない事実なのです。

何故、人は老いるのでしょうか。

 

それは、細胞の分裂回数が決まっているからなのです。

細胞も分裂するコトに疲れ、残機が0になれば増えるのを辞め、アトは役目を終えるのを待つばかり。

日々ちょっとずつ疲れてゆき、そうして細胞は死んでしまいます。

死んだ細胞が多くなるコトを"老い"と呼びます。

 

細胞は疲れて死に、そして細胞で構成されている人もまた疲れて死ぬのでしょう。

 

 

私はこの記事で、なにか解を求めようというワケではありません。

 

40歳も手前になって、今一度また中学の時の授業を受けたらば、なんと私は答えるのか。そう思い立った次第なのです。

 

『人生とは、疲れることである。byイカキム。』

 

 

なんとも煮え切らなくてモヤモヤするかもしれませんが、コレは完全な解のある議題ではございません。

たまには、投げかける形で終わってみるのも良いかナァと、やっぱり思い立った次第なのです。

 

このあとは、ご自身で考察くださいませ。

答えのないモノ・コトを探して彷徨うのもまた、人生かもしれませんね。

 

 

イカキムでした!

 

 

ダメおやじ(1)

 

 

2019/07/11。加筆修正。