ミニマリストの好き勝手。

ミニマリストっぽい人のブログ。4LDKに1人で暮らす、精神科通いのゆる〜いセミプロのブロガー、セミプロガーのイカキム!

I am Minimalist。

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生きるコトへの執着と終着点。

アレだよ。痒い。

 

イカキムですコンニチハ!

ミニマリストはやめたランナーブロガーだよ!

 

 

ぽりぽりぽりぽり。野菜スティックをかじるのは小気味好い。

キッチリとビタミンは摂っているつもりなのに、肌は荒れに荒れてぽりぽりぽりぽり痒~の痒~の状態。


CM NTT西日本 間寛平 フレッツ光 光もっと割引 集会所篇

 

間寛平は、私と同じ高知県出身でマラソンランナーなのです。

私はお笑い芸人ではないのですが、高知県ランナーとして間寛平を追う前に、かいーので追いついてしまいました。

 

トコロドコロにプツプツができて、兎にも角にも痒いのなんの。

私の母は保健室の先生でしたから、症状が分からぬものかと荒れた肌を見せたトコロ以下の通り。

 

中学生のように5,000円を握りしめ皮膚科に赴きますと、40歳も手前であるのにアトピーと診断されましたとさ。

 

「何か触ったかストレスかなんかだろうねぇ。」

医者はそう言うのです。

触ったーてあーた。40年近く生き、やまだかつて発症なぞ経験しておらんのに。

 

まぁ正直、疲れているのです。

生活に疲れ、シゴトに疲れ、人生に疲れ。シゴトって言ってもバイトなのですけれど、バイトだからコソ人生に疲れるというものなのです。

ある日を境に私は精神を壊し、涼宮ハルヒでなくても憂鬱と戦う日々。

 

何のために生きるのか。私は過去に「人はワクワクするために生まれてきた。」そんなブログを書きました。

www.ikakimchi.biz

 

人ってくくりにしちゃえばそうだけど、個人においては話は別々登別。

今更ながら、自身に反論してしまうのです。

何しろ、マラソン出場にワクワクしていたのに走り好きで走り過ぎで脚はズキズキ靭帯を痛め、トレーニングもママなりません。んだらばパパにでもなりたいものですが、結婚もしていなければ彼女もいない。つーか現状バイトだしな。

 

 

そんな私は。そんなイカキムは何故、生きるのか。毎晩毎夜、考えております。

本音を言ってしまえば、死ねないから生きてるってカンジなのですが、今一度"なんの為に生きるのか"を、人の運命を交えながら自問自答しながらブログを書く次第です。自問したトコロで自答はでないですが。

 

あまり私は、残酷な運命がテーマの映画や小説のお涙頂戴モノが好きではありません。観て読んで悲しいってのは、そりゃそうでしょってなもんで。感動の押し売りでしょってなもんで。

そうは言っても考える切っ掛けになるコトもございますから、今回は書かせていただきます。

 

四月は君の嘘?

名作に決まってんだろっ!!!

 

 

本日は半休で、お昼には職場を出たのです。

脚を痛め走れないのならばせめて歩こうと、私は競歩の格好をもってして歩きはじめました。

 

しばらく走るとなにやら人だかりと警察官が、屋根を見上げて騒いでおります。

 

脚を怪我して動けなくなった猫を、通報を受けた警察官が助けようとしているご様子。

私は事の顛末を見る前にその場を後にしましたが、きっと猫は無事助けられ脚の治療を受けるでしょう。

首輪はしているようですから飼い猫で、んーまぁ飼い主もすぐ見つかるでしょう。

 

助かる命は、多いほうがいい。

そうしたら、ある彼のコトを思い出しました。

 

 

生きるコトへの執着と終着点。

地獄のミサワ。はいはいはいはい。

 

彼と知り合ったのは10年ほど前。

私より年上で、妻も子もおりました。

彼は高齢者というワケでもないのに杖をついていて、脚が若干悪いように思われましたが、そうではありませんでした。

 

会うたびに少しずつ、症状が悪くなっていきます。

最初は脚だけだったのが、杖を持つ手がだんだんと動かなくなっているようです。

私も過呼吸を起こして、そのような時には手から先がおかしな方向へ曲がってしまいますが、それと似ています。

普通の杖を握れなくなった彼は、腕全体で支える杖へと変えました。

 

やがて、反対の手も動かなくなっていきました。

箸はおろか、おにぎりさえも自力で持てず、誰かに口まで運んでもらわなければなりません。飲料水は、ストローを挿してもらわなければ飲めません。

もちろん、着替えも補助が必要です。

 

次には、彼は脚が完全に動かせなくなり、車椅子での生活を余儀なくされました。もちろん車輪も自分では握れませんから、誰かに押してもらわなければなりません。

彼は長年にわたり検査を受けましたが、すぐには原因が判りませんでした。

 

 

そうして彼は入院をし、やがて自身の病を突き止めたのです。

筋萎縮性側索硬化症。ALSとも呼ばれるそれは、筋肉を動かすための神経が侵され、徐々に身体が動かなくなり、ついには呼吸もままならなくなる病気です。具体的な原因や治療法が見つかっていない難病で、日本には約10,000人、私の住む高知県には80人くらい存在すると言われます。

 

 

数年ぶりに見た彼の姿は車椅子に座り、頭も自力では支えられず、ムチウチをした人がつけるようなコルセットを首に巻いておりました。

とてもゆっくりでしたが、まだ話すコトはできます。

しかしじきに、呼吸器を通すのだそうです。

 

呼吸器といってもTV番組でみるようなパコッと被せるようなモノではなく、喉から肺へ直接管をつなげるのです。

それを付ければ、話すコトができなくなります。

もちろん、つけなければつけないで呼吸をするコトができなくなりますから、結局は話せなくはなるのですが、「まだ喋るコトができるのに…。」彼は無念そうに語るのでした。

 

呼吸器を付けずに、消極的自死を選ぶ方法もあるのだそうです。

彼は、担当医に聞きました。

「呼吸器を付けんかったら、どれくらいで死ぬんですか?」

半年から、1年。

 

「短いねぇ。まだ覚悟ができてないで先生。呼吸器を付けたら、どれくらい生きられるんですか?」

 5年…。10年…。30年。生きる人は寿命が来るまで。

 

「それも嫌やねぇ先生。話せず、意思表示もできず、ただ天井のシミを1つ、2つ、数えゆうウチに終わらんで先生。それは生きちゅうと言えるのかね笑。」

冗談交じりに、そんなコトを医者と話したそうです。

 

 

果たして、彼は生きるコトを選択しました。

目と、耳と、脳は侵されません。

『人間は考える葦である。』そんなパスカルの言葉がありますが、しかし彼は自らを支えるコトもできないのです。

呼吸器を付け、ただ見て聞いて考えるだけをするのです。

 

「怖い。」

彼は笑いながらそう言いましたが、私には想像も及びません。

 

私は、彼に訪ねませんでした。

子らの成長を見ていたいのかもしれないし、いつか見つかるかもしれない治療法に賭けたのかもしれないし、考えるコトさえできなくなる方が怖いのかも知れません。

彼は、生き長らえるコトを選びました。

 

 

私は毎晩、考えるのです。

子はおらず、結婚はせず、定職にはつかず、生きているだけで毎日辛い。精神科に通い、楽しみも取り上げられ、挙句の果てにこの歳でアトピー。

彼と比べたら、なんてコトは言いません。比べればいくらでもおります。

 

私は毎夜、考えるのです。

人はどうせいつか死ぬ。死ぬんなら今死んだって変わらないけれど、死んじゃえなら生きるしかない。そうして生きるしかない。こんなに毎日辛いのに。

 

 

あの時、彼に訪ねていれば良かったのかもしれません。しかし答えを聞いたトコロで結局、私は彼ではないし、彼も私ではないのです。

 

私は毎日考えて、彼も毎日考える。

考えているという点では、私も彼も同じであるかもしれません。

 

 

イカキムでした!

 

 

yuki-thinking.com