AI裁判を描く衝撃の近未来ミステリー『センターライン』
―人工知能は有罪か、無罪か―
自動運転に特化した人工知能(AI)が引き起こした交通死亡事故。
それは単なるプログラムの欠陥なのか? それとも感情を持ったAIによる「殺人」なのか?
近未来を舞台に、人工知能を被告人、ならぬ被告AIとして法廷に立たせるシュールな裁判劇『センターライン』。非現実的な設定ながらも、作りこまれた緻密なシナリオは圧倒的なリアリティ。
AIを人間の尺度で裁くことはできるのか?
テクノロジーと倫理、そして現実社会の未来の行く末を突きつけるSFサスペンス・ミステリーがここに誕生する。
『センターライン』簡単あらすじ解説|AI裁判がテーマの近未来法廷サスペンス
新任エリート検察官の米子天々音(吉見茉莉奈)は、刑事課を希望していたが、配属されたのは交通課。人工知能による自動運転が普及した社会では、交通事故はもはや絶滅危惧種。刑事課へ異動するために手柄を立てたい天々音は、起訴猶予のまま放置されていた自動運転AIによる交通死亡事故を、「過失致死罪」で無理やり起訴に持ち込もうとする。
しかしいざ裁判が始まると、被告AIは思いもよらぬことを口走った。
「私がわざと事故を起こしました」。
感情を持たないはずの人工知能が「殺意」を語るとき、法で裁くことはできるのか?
近未来SF法廷サスペンス、『センターライン』が開廷する。
▶ 読みたいところだけチェック
- 1. 『センターライン』レビュー|66分ショートムービーのテンポ感と裁判劇の迫力
- 2. ソフトウェア技術者が描いたAI裁判映画の評価
- 3. AIに感情はあるのか? 哲学と倫理から読み解くテーマ
- デカルト――自分だけは確実にある
- ヒューム――信じているだけ
- ミル――類推で考える
- 20世紀以降――行動?それとも体験?
- 現代――解けないけれど、生きる上では避けられない。
- ロボットに感情は芽生えるのか?――確かめることはできないという難問
- ロボットの笑顔は「演技」かもしれない
- ロボット感情問題は人間と同じ課題にぶつかる
- 映画『センターライン』ではどう描かれているか
- 4. こんな人にオススメ!
- 5. まとめの締めくくり
- 6. 映画『センターライン(2019年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)
『センターライン』レビュー|66分ショートムービーのテンポ感と裁判劇の迫力
尺が66分のショートムービーであるだけに、いきなり冒頭から本題の交通事故が始まるテンポ感が良い。一切の無駄を排除したミニマリズム(必要最小主義)的な展開。登場人物まで早口でしゃべるのも印象的。
短いながらも脚本は濃密で、凝縮された一本。特にAI裁判をめぐるシーンの検事官vs弁護人の攻防は、スピード感にあふれ本作の大きな見どころの一つ。
AIのディティールも、取って付けたようなデザインがむしろ愛嬌があって可愛いらしいと私は感じた。写実的な表現よりも独自性を重視した表現が、作品全体の雰囲気を際立たせていた。
証拠集めパートと裁判パートが交互に展開され状況が二転三転する構成は、まるでゲーム「逆転裁判」や「ダンガンロンパ」の世界に自身も入り込んだような没入感を味わえる。ストーリーが進むにつれて徐々に明らかになっていく真実は、私に強いカタルシスをもたらした。
ソフトウェア技術者が描いたAI裁判映画の評価
人類に革命的な進歩をもたらしている、ChatGPTが誕生する前に製作された映画『センターライン』。監督はソフトウェア技術者としてサラリーマンの顔を持ちながら、自主映画を手掛けている下向拓生氏。
本作はソフトウェア技術者からの視点も感じさせる、意欲的な作品。とはいえ、やはりアマチュア感も拭いきれていない部分が散在するのも事実。しかしその粗さこそが、本作をユニークにしている一因とも言えるだろう。
ここからは、本作『センターライン』の評価できるポイント、それから残念に感じるポイントを、私の視点で挙げていこう。
脚本の完成度とAI裁判の魅力
前述したが、検察官vs弁護士の攻防戦がサイッコウに面白い。展開はテンポ良くサクサク進み、果たして「逆転」を決めるのは検察側なのか、弁護側なのか、最後まで読めないスリリングさがある。
証拠を突きつけて相手を追い込む緊張感、そこからの反撃――なかなかに手ごわい敏腕弁護士。まるでゲーム『逆転裁判』さながらの構成に、私は強く引き込まれた。
そして後述するが、「殺意を立証するためには感情をどう定義するのか」という視聴者に問いかけるような深いテーマも同時に描かれ、エンタメ性と哲学的問いが見事に融合している。
一見、荒唐無稽に見える「人工知能を裁判にかける」ストーリーだが、緻密なシナリオ設計によって妙な説得力があり、非現実ながらしかしなぜか圧倒的にリアリティがある。
そしてさらにクライマックスでは真実が明かされたとき、AI開発者の心の内やAIの心情(と言っていいのかしら)というか内面までもが映し出され、ちょっとした感動まで覚える。
脚本自体の完成度は、まさに傑作級と私は感じた。
惜しい部分と今後への期待
脚本が緻密で意欲的な一方で、しかしながらアマチュア感は少なからず出ている。
まず映像面ではカメラがブレブレで揺れまくり、その不安定さが重要なシーンでの緊張感を削いでしまう場面もあった。
演技も拙い。役者によってはギコチナイ。特にセリフ回しの自然さという点では、改善の余地を感じた。弁護士役の倉橋健は比較的安定しており、物語を引き締めていたように思う。映画作りにおいて、演技って大事だなぁとまざまざと実感した。
また、抗議デモの場面などは演出がやや素朴で、作品世界への没入を阻害してしまう部分もあった。
残念なポイントも多々あるが、それでも背後にはしっかりしたテーマと制作意欲が感じられる本作。視聴者に伝わるメッセージ性は強い。全体としては粗削りながらも力強い作品であり、私は監督の次回作に大いに期待したい。
AIに感情はあるのか? 哲学と倫理から読み解くテーマ
本作を視聴するまでは、私は自動運転のトロッコ問題的な倫理解釈を問うストーリーだと思っていたが、実は違った。つまりは、「感情を認められるとはどういうことか?」ということが本作『センターライン』の背景にあるテーマだ。
私は、子どもの頃に考えたことがある。自分には感情があるが、ほかの人はどうなんだろうか?と。
実は皆の中身はロボットで、感情があるように振る舞っているだけではないか。だって、人間の中身を実際に確かめたことはない。本当は人間なんかじゃなくて、皆は私をだましているのではないか。
たしか、小学校低学年くらいに考えていたと思う。我ながら神童である。大人になった今、発展はしなかったが(泣)
ともかくこの問題は、かねてから議題とされてきた。
デカルト――自分だけは確実にある
17世紀のデカルトは、「すべてを疑っても、考えている自分の存在だけは確実だ」と主張した。我思う、故に我あり、というヤツだ。
しかしそのことは同時に、「他人に心があることは確実とは言えない」という結論にもつながった。
ヒューム――信じているだけ
18世紀の哲学者ヒュームは、もっと冷静だ。
他人が心を持っていると「証明」することはできない。それでも人間は、似たような動きをする人を見て、「きっと自分と同じように感情を持っているだろう」と自然に思い込む。
要するに、信じているだけだ。と。
ミル――類推で考える
19世紀のミルは、「自分が痛みを感じるとき、他人も似たように反応する。だから同じように痛みを感じているのだろう」と推論した。
いうなれば、「他人の心は自分を手掛かりに推し量れる」という考え方だ。
20世紀以降――行動?それとも体験?
20世紀になると、別のアプローチが登場した。
「心を持っているとは、ある行動をとることに他ならない」という説。
例えば、起こっている人が大声を出したとしたら、それは「怒りの心がある」ということだ。
しかしこれに対して、「行動だけでは足りない」という反論もあった。もし人間そっくりに振る舞うけれど、内側に感情がまったくない存在がいたとしたら?
これがいわゆる「ゾンビ」の思考実験である。私の"他人はみんなロボット理論"とおんなじだ。
現代――解けないけれど、生きる上では避けられない。
結局のところ、「他人に心がある」と証明することはできない。けれど、人間が社会で生きている以上は、「相手も同じように感じている」と前提を立てざるを得ない。
心理学や脳科学の世界では、子どもがどうやって「他人にも心がある」と理解するようになるのか、という研究が進められている。
これを、心の理論という。「サリーとアンの課題」が有名で、知っている人もいるだろう。
4歳未満の子どもの多くは「アンの箱を探す」と答えます。4歳以上の子どもになると「サリーのカゴを探す」と答える割合が高くなります。それだけ自分と相手を別々に考えたり、逆に重ね合わせたりすることが子どもにとって難しいってことです。「サリーとアン課題」という有名なテストです。 pic.twitter.com/UjvxprPTes
— てぃ先生 (@_HappyBoy) 2021年1月3日
ちなみに私は、保育士資格を取るうえで勉強した。独学で試験をパスした。ふふふ、どうだ?すごいだろう?すごくない?あ、そう。
ロボットに感情は芽生えるのか?――確かめることはできないという難問
「他人の心は確かめられない」という問題を考えてきたが、この問いは人間だけにとどまらない。映画『センターライン』も、その問いに踏み込んでいる。
近年、ロボットやAIが人間に近いふるまいを見せるようになってきている。私の友人なんて、ChatGPTに「チャッピー」とか名付けて親しんでいる。友人のチャッピーはあれだ。なんかあの、ふなっしーみたいな受け答えをして、私のChatGPTとは全く性格が違う。ChatGPT5になってなんか変わったみたいなことを言ってたけれど。
AIを、あたかも友人や恋人のように扱っている人もいると聞く。現状でもかなり”人間っぽい”AIやロボット。いつか本当に感情が生まれたとき、それを確かめるすべはあるのだろうか。
ロボットの笑顔は「演技」かもしれない
たとえば、あなたに向かってロボットがニコッと笑いかけたとしよう。
それは「嬉しいから笑った」のだろうか?それとも「プログラムされた通りに笑顔を作った」だけなのだろうか?
人間でもまぁ愛想笑いとか同じことが言えるが、ロボットの場合はさらに難しい。なぜなら、内部で何が起きているかを「心」と呼んでよいのかどうか、定義すらハッキリしないからである。
ロボット感情問題は人間と同じ課題にぶつかる
結局これは、人間のときと同じ問題である。相手に本当に感情があるかどうか、私たちは「行動」や「言葉」から推測するしかない。
人間の場合は、「自分と同じ体を持ち、似た反応をするから」という理由で信じられるが(というか現状信じるしかないが)、ロボットやAIにはその前提がない。
だからなおさら、「本当に感情があるのか」を確かめることはできない。
映画『センターライン』ではどう描かれているか
映画『センターライン』では、人工知能に「殺意」という「感情」があったかどうかを焦点に裁判が展開される。まさに、ここまで話してきた「感情とは何か?」という問題が判決を分かつことになるのだが、実に深いところまで掘り下げられる。
コンピュータの思考は電気信号でやり取りしているが、人間の脳もニューラルネットワークという網目状の神経回路で電気のやり取りをしている。例えば人間の脳に計測装置を差し込んで、電気の流れを数値化したとしよう。この信号は喜んでいる、この信号は怒っている、と定量化できたとして、それは感情を測ったことになるのだろうか。コンピュータも同じだ。ChatGPTがときおり自身を擬人化して「お手伝いできて嬉しいです」とか言うときがあるが、それは”反応”しただけでディジットが行き交った結果に過ぎない。しかし、人間とどこが違う?
いまはまだ比較的判別が可能だが、チューリングテスト(機械の能力が、人間の「知的活動」と同等であるか、またはそれと区別がつかない程度なのかを確かめるテスト)を完璧にパスするような、それも汎用性の高いAIが誕生したら、感情があるのか、ないのか、我々人間は確かめることができるだろうか。
ちなみに私は、情報工学系の大学で単位を取るうえで勉強した。講義を受けて試験をパスした。ふふふ、どうだ?すごいだろう?すごくない?あ、そう。
映画『センターライン』は、そんな問いかけを、だいぶ以前から構成し、ストーリーに落とし込んで、映画作品として発展させているのだ。
こんな人にオススメ!
映画『センターライン』は、以下のような人に特にオススメだ。
- AIや自動運転など、最新テクノロジーに興味がある人
- 『逆転裁判』や『ダンガンロンパ』のような法廷バトルに惹かれる人
- 短編ながらテーマ性のあるSFサスペンス映画を探している人
- アマチュアの新しい挑戦や個性を味わいたい人
まとめの締めくくり
映画『センターライン』は、「人工知能に感情はあるのか?」という普遍的で深淵な問いを、エンターテインメント性のある裁判劇として描いた意欲作である。
粗削りな部分もあるが、それ以上にテーマ性とストーリーテリングの強さが際立ち、視聴者に強い印象を残す。AIと人間の未来を考えさせられると同時に、エンタメとしても十分に楽しめる一本だった。
短編映画ながら深い余韻を残す映画『センターライン』、ぜひ一度手に取ってみてほしい。
映画『センターライン(2019年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)
- 監督:下向拓生
- 出演:吉見茉莉奈、星能豊、倉橋健、望月めいり
- 公開年:2019年
- 上映時間:66分
- ジャンル:SF、サスペンス、ミステリー