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韓国映画『8番目の男』感想|陪審員制度と「疑わしきは被告人の利益」

『8番目の男』は、監督・脚本をホン・スンワンが務め制作された、2019年5月15日公開の法廷ヒューマン映画。
2008年に韓国で初めて導入された国民参与裁判の実話を基に、年齢も職業も異なる8人の一般市民が陪審員として選ばれ、有罪確実とされた尊属殺害事件の真実に向き合う姿を描く。原則主義者の裁判長キム・ジュンギョムをムン・ソリ、粘り強く疑問を投げかける陪審員8号クォン・ナムをパク・ヒョンシクが演じる。
共演はペク・スジャン、キム・ミギョン、ユン・ギョンホ、ソ・ジョンヨン、チョ・ハンチョル、キム・ホンパほか。

🧑‍⚖️裁判での緊張感をリアルに体験できる韓国映画

―『8番目の男』レビュー―

韓国映画『8番目の男』は、韓国で2008年に始まった初の陪審員裁判、「国民参与裁判」を描く、実話をもとにした法廷劇である。

普通の市民が陪審員として招集され、被告人の有罪・無罪を話し合うところから始まるストーリー。

単なる法廷シーンの再現ではなく、人を裁くという行為の重みや、社会の中で声をあげることの難しさが描かれている作品である。

.裁判員と陪審員の違い .

裁判員(日本)

  • 2009年から導入された「裁判員制度」に基づく。
  • 裁判官と市民が一緒に評議し、有罪・無罪だけでなく量刑(刑罰の重さ)も決定する。
  • 最終判決に直接拘束力を持つ。
  • 対象は重大事件。

陪審員(英米・韓国)

  • 英米法系で伝統的に採用される制度。
  • 市民のみで有罪・無罪を判断し、刑罰の重さには関与しない。
  • アメリカでは評決がそのまま判決となるが、韓国では裁判官を拘束しない。

まとめ

  • 裁判員=裁判官と共に判決まで決める(日本)
  • 陪審員=事実認定のみを行う(英米・韓国)

私もいつぞや、裁判みたいなのに間接的に関わったことがある。関わったと言っても、検察庁に行って、自分が見たことを証言しただけだが。

映画の内容と比べると大したことではない(被害者にとっては大問題だったろうが)、とある事件の目撃者として事情を話した。いざ検察庁に着けば「ここが検察かぁ」と、緊張感とはまた違う、なんだか変にナーバスな気分を味わった。「もし被疑者が否認を続けたら裁判になるから、その時は目撃者として証人で立ってもらう」と言われ、形式的な手続きであっても、「自分の陳述がなんやかんやで読み上げられるのだなぁ」そんなふうに思った。少しだけ心がズッシリとした。

多くの人にとって、そんな経験は稀だろうと思う。そのような感覚に似た、そわそわというか、じわじわというか、繊細微小な、押しかかってくる気持ちを味わえる本作『8番目の男』。視聴しながらにして、裁判の現場に立ち会う感覚を体験できるのが、この作品の魅力でもあると言える。

韓国の陪審員制度を描いた『8番目の男』は、日本の裁判員制度を理解するうえでも示唆に富んでいる。単なるエンターテインメントにとどまらず、「人を裁くとはどういうことか」を問いかける一本である。

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『8番目の男』あらすじ

2008年、韓国で国民参与裁判(陪審員制度)が始まった直後。ソウル地方裁判所では初めての陪審裁判が行われようとしていた。殺人罪に問われた被告を前に、集められたのは年齢も職業もばらばらの8人の市民たちである。
多くの陪審員は「自白もあるし有罪だろう」と早々に結論を出そうとする。だが、その中でただ一人、若い起業家の男が疑問を投げかける。「証拠は十分なのか? 本当に有罪といえるのか?」。
当初は軽い気持ちで集まった人々も、議論を重ねるうちに次第に自分自身の価値観や社会への姿勢を問われていく。彼らが下す評決は、単に被告の運命を左右するだけでなく、「市民が裁きに参加する」とはどういうことかを映し出していく。

映画『8番目の男』の裁判員たちの評議シーン

韓国映画『8番目の男』は、「脚本:三谷幸喜」とでも言いたくなるようなユーモラスな雰囲気を漂わせつつ、シリアスな法廷劇としても成立している。コメディとして観るのか、それとも重厚な裁判映画として受け止めるのか、序盤は少し迷った。

裁判劇ではあるが、半分くらいは陪審員同士で評議を重ねるシーンに割かれている。いや、評議というか、付議争論する感じだ。意見がぶつかり合い、言葉が飛び交うのだ。

陪審員に選ばれたことにただ自慢げな者、とっとと裁判を終わらせて早く帰りたい者、拙速な司法の判断に疑問を持つ者――。それぞれの意図が言葉となって飛び交う。

一方、裁判所は裁判所で、事情がある。初の「国民参与裁判」を成功させ、メディアにアピールしたい者。そして結果を収めた暁には、キャリアアップに利用しようとする者。

表と裏の利害が交錯し、法廷の緊張感はさらに増していく。

視聴する前までは、「検察側vs弁護側」に陪審員たちが分かれて対立しあうものだと思っていたが、蓋をあけてみれば「裁判官vs陪審員たち」という構図だった。どういうことかは実際に視聴して欲しいし、後述もする。

さあ、果たして被告人は有罪か無罪か。それを決定付けるのは他でもない、波乱の陪審員たちであった。

視聴者は彼らの葛藤を通して、人を裁くという行為の重みを体感することになる。

 

『8番目の男』の違和感と社会問題の影

ここでは、韓国映画『8番目の男』を視聴していて覚えた違和感の正体や、気になったポイントを整理する。また、本作は社会体質の杜撰(ずさん)さを提起しているようにも感じた点を、実際にあった事故と絡めて説明しよう。本作は単なる法廷ドラマというより、韓国社会に根強く残る「陪審員裁判」と司法制度への不信感を投影した作品である。

読者としては突拍子もないかもしれないが、私は作品として面白かったかどうかを評価するよりも、本作は「陪審員裁判」をテーマにしている映画なので、そっち方面に舵を取った方が良い気がしたのだ。

陪審員裁判のスピード感に潜む非現実性

作中では、重大事件であるにもかかわらず、たった1日で評決を出そうとしていた。というか、2日弱くらいで評決を出す。現実の事件では、証人尋問や証拠調べに複数日をかけるのが普通であり、私が関わった比較的軽い事件でさえ細かい確認に時間を割いていた。映画のように「即日結審」は現実離れしている。しかしまぁ、これは作品の欠陥というより、制度の複雑さを圧縮して、「市民が罪人かもしれない人を裁く立場」に立たされる状況を際立たせるための演出と考えられる。法廷映画らしい演出の一つと捉えてよいだろう。

映画だからと納得してしまうのが、良かろうもん。

証拠の薄さと自白偏重の影

ほかに気になったポイントは、被告は自白しているにもかかわらず、証拠品からの推論が極端に薄いことである。現場検証も曖昧で、証拠が積み重ならないまま評決が進んでいく。司法の根幹に関わる問題だ。韓国の司法制度も原則は日本と同じく「証拠主義」であり、自白だけで有罪にできるわけではない。しかし、かつて韓国では自白偏重の傾向が強く、強引な取り調べが社会問題化した歴史があるらしい。

.歴史的背景.

韓国では、1960年代から80年代にかけて、政治的抑圧と軍事政権下での人権侵害が深刻な問題となっていた。特に、全斗煥(チョン・ドゥファン)政権(1980年〜1987年)時代には、反政府的な言動を取り締まるために、警察や情報機関が強引な取り調べを行うことが常態化していた。これらは被疑者から自白を得ることを目的としており、証拠に基づく立証よりも、自白が重視される傾向が強まった。

参考:白色テロ#韓国 - Wikipedia

▼ 台湾の白色テロ時代を描いた映画もレビューしています。

www.ikakimchi.biz

セウォル号事故との連想

思い出されるのが、2014年のセウォル号沈没事故である。いや、事件と言ってもいい。杜撰な初動対応や制度的な不備は韓国社会の不信感を増幅させ、裁判や司法制度にも国民の怒りが集中した。

本作の「証拠の薄さ」「拙速な判断への違和感」は、こうした制度不信の土壌と重なり、視聴者に響く要素となっている。

韓国映画『8番目の男』は、司法制度の課題を法廷劇として描きながら、同時に現代社会の抱える不安や不信をあぶり出す作品であると言えよう。

 

「8番目の男」というタイトルの意味

さて、『8番目の男』のタイトルだ。何故「8」なのか?同じ疑問を、映画『8番出口』のレビューでも私は考察した。

www.ikakimchi.biz

「8番目の男」とは、陪審員の中で唯一「本当に被告人は有罪なのか」の疑問を投げかける存在を指している。ほかの陪審員たちが早々に多数派へと傾いていく中で、彼だけが素朴な疑問を口にし、議論の流れを変えていく。その姿勢を支えるキーワードとして繰り返し強調されるのが、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の大原則である。

ひとつひとつの事実についても、証拠によってあったともなかったとも確信できないときは、被告人に有利な方向で決定しなければなりません。これを「疑わしきは被告人の利益に」といいます。

参考:日本弁護士連合会:裁判員になったら?-心にとめておきたいこと-

冒頭で提示され、クライマックスでも再び強調されることで、作品全体を貫くテーマとなっている。

本作の英題がJuror 8であることからも明らかなように、これはアメリカ映画『十二人の怒れる男』(12 Angry Men:1957年)への明確なオマージュであると私は考える。かの作品でも「陪審員8号」がただ一人「無実の可能性」を主張し、議論を動かした。『8番目の男』は単に設定を借りただけではなく、刑事裁判の根底にある「疑わしきは被告人の利益に」という理念を全面に押し出すことで、クラシックな法廷劇の精神を現代韓国社会に引き継いでいるのだ。

陪審員がテーブルを囲んで議論するイメージイラスト。11人の西洋風の男たちがテーブルを囲んで議論している。

※本画像は、映画『十二人の怒れる男』の世界観をもとに作成したイメージです。公式のものではありません。

実際の韓国の陪審裁判で「8番目の人が特に目立った」という事実があるわけではない。あくまで映画はフィクションであり、『十二人の怒れる男』の構造を踏まえて「異議を唱える一人」を「8番目の男」として描いているはずだ。したがってタイトルは、現実の制度や特定の裁判事例から取ったものではなく、映画的・象徴的な意味合いで付けられたのだろう。

実はこれ、ほかにも同じ解釈にたどり着いた人がいそうだと私は思っている。べつに調べないけど。

 

こんな人にオススメ!

  • 韓国映画の社会派ドラマや法廷劇に関心がある人
  • 『十二人の怒れる男』などクラシックな裁判映画が好きな人
  • 人間模様や価値観のぶつかり合いを描いた群像劇を楽しみたい人
  • 硬派な社会問題を扱いつつもエンタメ性のある映画を探している人

 

まとめ

韓国の陪審員制度と、日本の裁判員制度は似て非なるものだ。韓国では陪審員の評決に拘束力はなく(要するに、意見として聞きますよってこと)、最終判断は裁判官が下す。一方で日本の裁判員制度では、裁判員と裁判官がともに判決に直接関与する。

『8番目の男』はそういった制度の差よりも、「市民が裁きの場に立たされた時、どう考え、どう声を上げるのか」という普遍的なテーマを掲げている。

もしも自分が映画の登場人物のように陪審員として、裁判員として選ばれたら、どう判断するだろうか。証拠が曖昧で、自白があるからといって安易に有罪を認めるのか。多数派に流されず、自分の意見を述べられるのか。本作は、その問いを視聴者に突きつけるのだ。

『8番目の男』は、エンターテインメントとしての面白さを持ちながら、人を裁く責任、自白への依存の危うさ、そして声を上げることの意味を問いかけてくる。私にとっては、かつての検察での経験を呼び起こすと同時に、社会の制度不信と司法の緊張感を重ねて考えさせられる作品であった。あまりブログでは語りたくはないが、社会や政治や裁判のニュースを見て、「そりゃおかしくないか?」と思うことは山ほどある。

単なる法廷劇以上に、社会や政治、法の理念を自分自身に突きつけれる時間であった。

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映画『8番目の男(2019年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)

  • 監督:ホン・スンワン
  • 出演:パク・ヒョンシク、ムン・ソリ、ペク・スジャン、チョ・ハンチョル
  • 公開年:2019年
  • 上映時間:113分
  • ジャンル:ドラマ、サスペンス、ミステリー

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