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映画『おいしくて泣くとき(2025年)』感想レビュー|リアリティの欠如と浅い社会テーマが残念な感動作

リアリティのなさで感動作に成りきれなかった青春ドラマ

映画『おいしくて泣くとき』感想レビュー|子ども食堂をテーマにした青春ヒューマンドラマ

映画『おいしくて泣くとき』は、食と記憶、そして人と人とのつながりを静かに描いたヒューマンドラマである。何気ない食卓の時間や、ふとした一皿の味が呼び覚ますのは、誰もが心の奥に抱えている“あの頃の気持ち”。過去の痛みと向き合いながらも、あの日の約束をずっと胸にしまって――そんな優しさと切なさが、静かに胸を打つ作品である。

とは書いたものの、再生開始後30分を過ぎる頃から「失敗したかも」と思い始めた。X(旧Twitter)で本作の紹介ポストが流れてきたのをきっかけに視聴を始めたが、思っていた印象とは違った。Amazonプライムビデオの新着として配信され、Amazonにはまだレビューが付いておらず、それでもYahoo!映画では評価4.0超えという高評価。だからこそ期待していたのだが……。正直に言うと私には合わなかった、というのが結論である。後半は飛ばし飛ばし観てしまった。だってテンポも悪いんだもん。青春ドラマとしての雰囲気は悪くないのだが、リアリティが伴わず、感動よりも違和感が勝ってしまった印象である。

作品内容は、一言でいえば、いわゆる子ども食堂を背景にした現代と30年前の記憶を行き来する物語。「貧困家庭問題」というテーマをプラスαで映し、社会派ドラマとしても気取ってはいるものの、切込み方は浅い。なんとも中途半端な仕上がりになっている。

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『おいしくて泣くとき』あらすじ

幼いころに母親を亡くした心也(ここや)は、心の奥に孤独を抱えていた。一方、家族関係に複雑さを抱え、“居場所”を探すように過ごす夕花(ゆうか)。同じクラスにいながら、はじめは心を開けずにいた二人だったが、あるきっかけで「ひま部」という小さなグループを作ることで少しずつ距離を縮めていく。
けれども、夏のある事件を境に、夕花は心也の前から姿を消してしまう。残された心也は、失われた日々を胸に“いつかまた会えるかもしれない”という願いを抱き、彼女を待ち続けることになる。
時を経て、30年後。大人になった心也は、過去の記憶と向き合いながら、夕花にまつわる“秘密”と再び出会うことになる。その秘密が明らかになるとき、二人の物語は静かな奇跡とともに紡がれていく。

テンポの悪さが作品の弱点。演出も弱い。

映画『おいしくて泣くとき』は、全体的にテンポが悪く、ぬるりぬるりとストーリーが進行していく。主人公の心也(長尾謙杜)がヒロイン・夕花(當真あみ)を意識し始める描写や、製作側が「美しい」と感じてほしいであろう風景のシーンが長く続き、正直くどさを感じる。セリフも浅くて薄っぺらく、しかもゆっくりと話すため、やはり余計に間延びして見えてしまう。また、同じ別れ道を通るシーンが何度もあるため既視感がすごい。もっと構成に工夫がほしかった。

ほかには映像や音楽、演出についてだが、パッと思い出しもしないしメモにも取っていないため(私はレビューの為にメモを取る。正直レビューの為に映画を観ているような気がして最近それは考えものだと感じている)、特筆すべきポイントはなかったのだろう。良く言えば安定している。悪く言えば、これといった個性や印象的な演出がない

しいて良かった点を挙げるなら、タイトルの意味を最後にきちんと回収していること、そしてキャスティングの自然さである。作中では現在と過去を交互に映し出されるのだが、若き日の登場人物と30年後の姿が自然に重なり、そのあたりは違和感がない。そしてその娘も、なんだか雰囲気が似ていてこだわりを感じた。良いところはそれくらいだろうか。

総じて言えば、『おいしくて泣くとき』は穏やかで静かな青春映画である。ただし、感動作としての深みやリアリティには欠け、強く印象に残る作品ではない。とはいえ「なんとなく映画が観たいけれど、重い内容は避けたい」ときにはちょうどいい一本かもしれない。

焼うどんを食べながら泣いている女性

『焼うどんを食べながら泣いている女性』

 

リアリティが崩壊した映画『おいしくて泣くとき』の残念なポイント

映画『おいしくて泣くとき』の悪い意味で特筆すべき点は、そのリアリティのなさである。ここでは、その現実味の薄さを中心にレビューしていこう。ネタバレは極力さけるが、本作を未視聴で内容が気になっている人は注意していただきたい。

冒頭から破綻する現実設定

ストーリーの冒頭から暴走した車が大人になった主人公・心也(ディーン・フジオカ)の店に突っ込んで破壊するのだが、なぜだか店舗の改修費用を心也自身が工面しようとする。無免許運転だったのだが、現実なら裁判などの対応が入るはずである。運転手の生死も不明で説明がなく、現実世界とかけ離れた展開に視聴中は混乱した。シナリオを考えた人は自動車免許をもっていないのだろうか?だとしても、奇妙過ぎるおかしな点である。

不自然すぎる「謎の建築士」設定

改修費用に困る心也の前に、謎の女性建築士が現れ「無償で改修させて欲しい」と申し出る。その代わりに「改修後にお願いを聞いてほしい」と言うのだが、現実だったらそんな怪しい話を受ける人間なんていないだろう。
「無償で改修するが、内容は改修後に話す」などという人物がいたら、反社会的勢力を疑うのが自然である。

それでもまぁ、店舗が直った後でその建築士は真っ当な頼み事をしてくるのだが、別に改修前に話しても支障のない内容である。むしろ隠す理由がわからない。っていうか改修前に話せよ。もし探している人物が心也でなかったらどうしてたんだ。さらに改修費用はどこから出ているのかも説明されず、壊れ方からして500万円はかかりそうな修理をどうやって賄ったのか不明のままである。

記憶喪失設定のリアリティの欠如

心也が30年間探している女性。その女性は記憶喪失で、自分の名前すらわからないという設定である。これもおかしい。当時住んでいた住所から手紙が送られて来ている。その直後に女性はある事故(事件?)で記憶喪失になったのだが、しかし病院にいる描写がある。もちろんその時は未成年だから保護者が治療費を払っただろうし、母親がいる設定(一度も登場しないが)で弟もいる。記憶喪失になっていたとしても「あなたの名前は~だよ」と教えるはずである。でもって、保険証もあるでしょ?まさか健康保険なしで治療を受けたの?それでも通院記録などから身元は容易に判明するはずである。

偽名では結婚できないという現実

さらに、その女性は結婚し子どもまでいるが、劇中で女性の娘が「母の本当の名前は〜だったんだ……」と初めて知ったように語られる。しかし偽名では結婚できない。日本の法律では結婚は戸籍に基づく正式な身分行為であり、必ず本名で手続きを行う必要がある。

日本の法律では、結婚は戸籍に記載される正式な身分行為であるため、必ず本名(戸籍上の氏名)で手続きを行う必要がある。
  • 民法第739条第1項:「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる」
  • 戸籍法第74条:「婚姻の届出には当事者の氏名その他を記載しなければならない」

― AI調べ ―

仮に形だけの結婚で子どもを設けたとしても、その子どもの戸籍や親権、出生届などに矛盾が生じる。さらに女性は建築士として働いているが、本名を知らずにどうやって資格を取得したのかも謎である。ここまで設定が破綻していると、現実味をまったく感じられない。


映画『おいしくて泣くとき』は、感動的な物語を描こうとしながらも、あまりにも非現実的な展開の連続で内容に引き込まれない。リアリティのなさが感動を壊してしまった、非常にもったいない作品である。

 

社会的テーマの浅さ――子ども食堂の描写が投げっぱなし

映画『おいしくて泣くとき』では、当時としては珍しい子ども食堂の描写が登場する。社会的テーマを扱う意欲作のように見えるが、実際にはテーマの掘り下げが浅く、見せるだけ見せて放り出した印象を受けた。

主人公・心也が学生時代の時に彼の父親は、地域の子どもたちに食事を提供する「子ども食堂」を運営していた。しかし、それがきっかけで偽善者扱いされ、不良たちから嫌がらせを受けるという描写がある。いじめとまではいかないが、心也にとって大きな心の傷として残る出来事である。

そして大人になった心也が営む飲食店に車が突っ込む事故が発生し、その映像がニュースで報じられたことを機に、今度はネット上で誹謗中傷を受ける。この二つのエピソードは「人の善意が批判の対象になる」という社会風刺にもなり得るのだが、映画ではそこを掘り下げない。なぜ人々が子ども食堂を批判したのか、何をもって心也を責めたのかが描かれず、すべてが尻切れトンボで終わってしまう。

結果として、本作は「子ども食堂」という社会的テーマを扱ったつもりで終わっているだけであり、その存在意義や問題提起が物語に結びつかない。せっかくの題材が活かされず、ドラマとしても社会派としても中途半端である。

もし本作が本気で社会の偏見や善意の誤解を描きたかったのなら、子ども食堂を軸にした人間ドラマとしての葛藤も描くべきであったように思う。善意と偽善の境界、支援と自己満足の違い、そして社会の冷たさ――そこに踏み込まないまま物語を終えるため、観る側はテーマがどこに向かっていたのか理解しづらい。
「子ども食堂を通じて何を伝えたかったのか」が最後まで見えてこない点が、この作品の最大の弱点である。


映画『おいしくて泣くとき』は、現代的な社会問題を題材にしながらも、深堀りを避けた結果、物語の説得力を失っている。感動を狙うのであれば、テーマを表面的に扱うのではなく、登場人物の行動や言葉にリアリティを持たせる必要があった。

 

こんな人にオススメ!

私の正直なところ、映画『おいしくて泣くとき』はストーリーや設定の整合性に難があり、誰にでも自信を持って勧められる作品ではない。それでも、次のような人には一定の興味を持って楽しめるかもしれない。

  • ディーン・フジオカや當真あみのファンで、出演作を網羅したい人
  • 非現実的でも“泣ける系ドラマ”の空気感を味わいたい人
  • ご都合主義でも感情的な展開を受け入れられる人
  • 社会的テーマ(子ども食堂など)を扱った邦画を幅広くチェックしたい人

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まとめ:感動よりも違和感が残る作品

映画『おいしくて泣くとき』は、感動ドラマとしての雰囲気づくりだけは成功しているものの、ストーリー構成や現実味に欠ける部分が多く、真に心を動かす作品には至っていない。リアリティの欠如と社会的テーマの浅さが、作品全体の説得力を損ねていると私は感じた。

「泣ける映画」としての完成度を求めるなら物足りないが、逆にその不自然さを含めて考察したい人や、登場人物の行動の不可解さを分析するのが好きな人には一見の価値はあるかもしれない。
総じて、感動よりも“違和感が心に残るタイプの作品”である。

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www.ikakimchi.biz

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映画『おいしくて泣くとき(2025年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)

  • 監督:横尾初喜
  • 出演:長尾謙杜, 當真あみ, 尾野真千子, 美村里江, 安田顕, ディーン・フジオカ
  • 公開年:2025年
  • 上映時間:108分
  • ジャンル:ドラマ, 青春

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