悪魔的寓話を背景に描いた密室オカルトサスペンス!
映画『デビル』感想レビュー|シャマラン原案の密室サスペンス・ホラー
映画『デビル(Devil)』は、M・ナイト・シャマラン原案による密室サスペンス・ホラーである。舞台はフィラデルフィアの高層ビル。いつも通りの朝が始まるが、エレベーターに乗り合わせた5人の男女が、思いもよらぬ恐怖に巻き込まれていく。停電とともに密室となったその空間では、次第に不気味な出来事が起こり、乗客たちの間に疑念と恐怖が広がっていく。
監視室から事態を見守る刑事ボーデン(クリス・メッシーナ)は、外部から彼らを救おうとするが、やがて出来事が単なる事故ではなく、「悪魔」そのものの仕業であることを知る。製作と原案をシャマランが担当し、監督はジョン・エリック・ドゥードル。密閉空間で展開する緊張感と、罪をめぐる寓話的テーマが際立つ作品である。

今回レビューするのはこの『デビル(2011年)』。同名のハリソン・フォード主演作(1997年)とは別作品なのでご注意を。
本作を視聴することになったきっかけは、コチラ様の記事。
すっげぃ興味をそそられる内容で、すぐにでも観たかったのだが、他のレビューと重なってしまい、ようやく視聴に至った。Amazonプライムビデオで100円也。
エレベーターに閉じ込められた5人の男女を中心に、頻発する停電、暗闇、そして一人また一人と消えていく緊迫の展開。いわゆるワンシチュエーション・サスペンスの要素を持つ作品ではあるが、エレベーターの外で救出に奮闘する刑事さん(クリス・メッシーナ)がいい感じに演技してくれるので、そちらも見所である。
2010年製作ながら、どこか70~80年代スリラーのようなクラシックな雰囲気が漂うのも印象的。閉ざされた空間で展開する恐怖、罪と贖(あがな)いのテーマ、そして“悪魔”という存在の寓話的な意味づけが巧みに融合した作品である。
犯人は誰なのか? それとも本当にデビル(悪魔)の仕業なのか? 極限状態に追い込まれる人間たちの心理を描いた、緊迫の密室サスペンス・ホラー映画『デビル』!
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『デビル』あらすじ
密室の恐怖と罪の報いを描いた心理サスペンスである。
密室の恐怖と宗教的寓話が交錯するサスペンスの妙
映画『デビル(Devil)』は、ストーリー開始直後からただならぬ空気を漂わせる。不穏なBGMが流れ、視聴者はこれから始まる密室サスペンスの惨劇に引き込まれていく。わずか数分で張り詰めた緊張感が支配し、観客の心拍数を上げる演出はさすがである。
エレベーターという逃げ場のない空間で繰り広げられる人間同士の駆け引きは、息をのむほどの緊張感。ホラー要素も強く、じわじわと積み上げていくタイプの恐怖がまた物語に没入させられる。私は恐怖演出には強い方だと思っているが、本作は相当に心理的不安感をあおられる。仕事の休憩中にスマホで視聴していたら、同僚に後ろから声を掛けられ心臓が飛び出るかと思った。
「びやぁ!!びっくりしたぁもう!」
けっこうショッキングなシーンも多く、人によってはそのあたりも注意が必要だ。部屋を真っ暗にして大画面で鑑賞したら、本当にポックリ逝けるかもしれない。
また本作は、キリスト教のおとぎ話?を背景にしたストーリーテリングが特徴だ。罪と贖い、悪魔の存在といった宗教的テーマが物語の根幹にあり、無宗教や仏教文化の強い日本人にはやや入り込みづらい部分もあるかもしれない。宗教色を強く感じる作品が苦手な人は注意したい。
私も街中での宗教勧誘のビラ配りからは全力で逃げる。
とはいえ、そうした宗教的要素を抜きにしても、密室スリラーとしての完成度は極めて高い。エレベーターの外でも次々に発生するトラブルが緊張を切らさず、全編を通して張り詰めた空気が持続する。息つく暇もない展開に、視聴者は最後まで画面から目を離せない。
映画『デビル』は、サスペンスとしてもホラーとしても楽しめる一挙両得の一作である。上映時間は約80分と短めながら、その密度は非常に濃い。M・ナイト・シャマラン原案らしい寓話的テーマと、ジョン・エリック・ドゥードル監督による圧迫的な演出が融合した、緊張感と恐怖に満ちた高品質サスペンスである。
完成度の高さゆえに浮かび上がる“敢えて気になる”点
全体として密室サスペンス・ホラー映画『デビル』の完成度は高く、序盤からラストまでテンポ良く緊張感が続く。「密室×罪と贖い×悪魔」という構造が明確なため、安心できる作りでもある。一方で、高い完成度だからこそ「もう一歩掘り下げてほしかった」ポイントや「設定や展開に引っかかる部分がある」と感じる箇所も少なくない。
ご都合主義的に感じてしまう設定・展開
例えば、「エレベーターに閉じ込められた男女5人」という極限状況を描くための設定として、携帯電話の電波が届かないという点が挙げられる。正直、高層ビルのエレベーター内で“携帯電話の電波が0”という状況がどれくらい現実的かという疑問はあるところだ。そのような“逃げ道を奪う”設定が前提になる分、こうしたところが安易なひねりと指摘されても仕方がない。
まあ近年の情報社会で、連絡手段を奪うのはなかなか難しいだろうなぁとは思うが。
また、エレベーター内の5人以外の犠牲者が出る展開についても、「物語を動かすためのご都合主義的犠牲」という印象を受ける。ストーリーの構造上、「閉じ込められた者たち“だけ”が犠牲になるというのでは物語が動きにくい」というのはもちろん理解できるが、それでも少々強引に感じられる。
それほどまで、おとぎ話になぞらえたかった?
さらには、感電・命綱の切断・停電といったシーンの連続も、「さあ次の犠牲者だ!」という展開感を強くし、そのぶん“神秘的悪魔ホラー”としての静かな恐怖というより“演出としての見せ場”に重点が置かれていると感じる人も多いのではないか。
キャラクター掘り下げの浅さが“惜しい”
本作のテーマは明確に「罪と贖い」であり、そのひとつの象徴として監視室から捜査を行う刑事ボーデン(クリス・メッシーナ)と、5人の乗員のうち“最後に真相が明かされる人物”との因縁がしっかりと描かれている。ラストでの伏線回収という意味では「さすが」と言える出来栄えだ。
”すまない”と書かれた洗車クーポン……。
ただしその一方で、そのほか4人のそれぞれの背景が十分に描かれていたかというと“否”である。多くが「過去に何かをしていた」という断片的情報にとどまり、視聴者にとってそのキャラクターの人間性/動機に深く共感・共鳴する余地が少ない。それぞれのキャラクター性が薄く、掘り下げ不足は否めないだろう。
特に年配女性は、ただの騒音でしかなかった。
もしもエレベーター内の全員の罪・背景・心理の葛藤をもう少し丁寧に描いていたら、“寓話的悪魔ホラー”としての深みがさらに増し、ラストの衝撃もより強く残ったのではないか――。これは本作が“いい作品だからこそ”こそ、視聴者側に「もう少し内容が欲しい」と思わせてしまう、まさに「惜しい点」であろう。
――とはいえ、これらを踏まえても本作の魅力が色あせるわけではまったくない。むしろ、こうした“気になる箇所”を意識しながら観ることで、次回視聴時の楽しみ・発見が生まれる作品でもある。
『デビル』というタイトルに込められた意味と—デビル vs デーモン—
まず映画タイトルの『デビル(Devil)』について、「デビル」という言葉をそのまま冠している所はめちゃストレートだ。「悪魔=絶対的な悪」というイメージを前面に出してきており、「これは人間の仕業ではなく悪魔との対峙だ」という予感を抱かせる。
実際、雰囲気はめっちゃ悪魔っぽいし。
ここで少し説明しておくと、「devil(デビル)」はサタン(Satan)であり、絶対悪または堕落した天使という立ち位置だ。 一方でデビルと意味の似た言葉である「demon(デーモン)」。日本では「悪魔」と一括りにされることが多いが、本来の意味を調べると、「デーモン」はより広義で「悪霊・邪霊」また「悪もあれば善もある精霊的存在」という語感を含むことが多い。例えば「悪魔的存在」ではあるが必ずしも“サタン”本人ではないというニュアンスで使われる。ちなみに、日本の「鬼」は英語圏では「demon」に訳されることが多い。リスペクトをこめてそのまま「oni」とされることもある。
「泣いた赤鬼」…。たしかに鬼は日本でも絶対悪としては描かれないことが多いな。
そういった背景を考えてみると、本作では「Devil=サタン」を映画タイトルに据えている以上、視聴者には「究極の悪=サタンそのもの」の登場を期待させるだろう(少なくとも英語圏の人たちには)。しかし、見終わった後に感じるのは「本当に“絶対悪”としてのサタンの仕業か?」という疑問である。と言うのは、物語の構造として “密室で罪を抱えた5人が集まる→誰かが犠牲になる” という流れがあり、「人間の罪と贖い」のテーマが強く据えられている。実際に本作を観ると「悪魔か人間か境界がはっきりせず」「犠牲になるのが必ずしも“サタン的犯行”だけではない」ように見えるのだ。
とはいえ、エレベーターの5人以外も犠牲にはなるのだが。
したがって「Devilというタイトルを冠するには少し“名前負け”してないか?」というのが私の率直な感想だ。つまり“サタン=絶対悪”という視点からすれば、登場人物たちの罪がそれほど極悪非道とも思えず(許されるものでもないけど)、また悪魔そのものが物理的に全面に出現するわけでもない。あくまで匂わせ程度だ。どちらかというと、もう少し「デーモン(悪霊・精霊的存在)」という語を使ったほうがテーマと雰囲気にマッチしていたのではないか、と感じる。
英語圏の人がどう感じるのかは知らないけどね。
ただし逆に言えば、解釈の曖昧さこそが本作の魅力であるとも言える。サスペンスとして「人間の仕業なのか?それとも悪魔(サタン)の仕業なのか?」という疑念を持たせる構成は、視聴者を巻き込む演出として有効だろう。ラストでは“真犯人=人間”という明確な結論には至らず、ひとつの可能性として「もし人間ならばただ逃げ延びた」「もし悪魔ならば消えた」という曖昧な余白を残している。
また、「罪と贖い」というテーマで改めて人物の背景を見てみると、5人が“命を刈り取られるほどの重罪”を犯していたかという点で言えば、必ずしもそうとは言い切れない。すると“絶対悪=サタン”という存在を物語にほのめかすために、敢えて「Devil」という言葉を選んだのではないか、とも思えてくる。例えば最後で明らかになる乗員の一人の罪は確かに重いが、刑事ボーデンがその人物に赦しを与えるシーンには、宗教的な “贖罪(しょくざい)” の視点が強く現れており、この辺りが“サタンが出てくるおとぎ話的ホラー”としての設計を示している。
総括すると、タイトル『デビル』は、そのまま“悪魔(サタン)”との対峙を暗示し、視聴者に恐怖と寓話の両方を予感させる強いキーワードである。しかし物語の実際の展開・テーマ構造を考えると、“人間ドラマ+悪霊的演出”というハイブリッドな性格を持っており、「どちらかというとデーモン的要素でも良かったのでは?」という違和感も否めない。だが、むしろこの曖昧さが「何が“悪”なのか?誰が“デビル”なのか?」と観る者に問いを突きつける余地を残しており、そういう意味ではタイトル通り「悪魔的寓話」を描く上で機能しているとも言える。
こんな人にオススメ!
映画『デビル』は、ホラー表現もさることながら「悪意と罪」「贖いと赦し」を描いたサスペンスドラマに近い作品である。派手な描写やビックリ演出があるにはあるが、静かに不安を煽るタイプの心理的恐怖が中心となっている。こんな人にはオススメかも。
- 人間の心の闇や「罪と赦し」というテーマに興味がある人
- 密室サスペンスやワンシチュエーション映画が好きな人
- 派手なホラーよりも“じわじわ怖い”緊張感を楽しみたい人
- M・ナイト・シャマラン作品の脚本的仕掛けが好きな人
- 宗教的・寓話的なモチーフを含む心理サスペンスが好きな人
まとめ:小さな密室で描かれる“人間と悪”の寓話
映画『デビル』は、「悪魔の存在とは何か」「罪をどう赦すか」という普遍的な問いを密室劇として描いた寓話的サスペンス・ホラーである。スケールは大きくはないが、その中にある“悪”の描き方は実に象徴的だ。エレベーターという限られた空間で、人間の本性と恐怖が露わになるさまは、観る者の心にも静かに問いを残す。
悪魔本体そのものが登場するわけではないが、“悪”という存在を人間の内面に見出すストーリー構成は、まさにタイトル「デビル」が意味するものを体現している。派手さはなくとも、緊張と圧迫に満ちたサスペンスを味わいたい人にとって、見逃せない一本である。
映画『デビル(2010年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)
- 監督:ジョン・エリック・ドゥードル
- 出演:クリス・メッシーナ, ローガン・マーシャル=グリーン, ジェフリー・エアンド, ボヤナ・ノヴァコヴィッチ, ジェニー・オハラ, ボキーム・ウッドバイン
- 公開年:2010年
- 上映時間:80分
- ジャンル:ホラー, サスペンス