のんびり映画帳

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『システム・クラッシャー』は誰を指す言葉なのか|子どもが壊すのは社会システムだった

『システム・クラッシャー(原題:Systemsprenger)』は2019年製作のドイツ映画で、問題行動を繰り返す少女と福祉制度の限界を描いた社会派ドラマである。
監督・脚本はノラ・フィングシャイトが務め、児童保護システムの中で行き場を失う9歳の少女ベニーの姿を中心に物語が展開する。
主演はヘレナ・ツェンゲル、本作は第69回ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞。

🔥「システム・クラッシャー」と呼ばれる子ども――保護施設にも拒まれる現実を描いた衝撃作

映画『システム・クラッシャー』感想・レビュー

映画『システム・クラッシャー』は、ドイツの児童福祉制度を舞台に、どの場所にも定着できない少女の姿を通して、社会システムの限界を突きつける作品である。問題行動を起こす子どもを「どう救うか」ではなく、「制度はどこまで機能するのか」という問いを、極めて冷静な視線で描いていく。

主人公ベニーを演じるのは、本作で一躍注目を集めた子役ヘレナ・ツェンゲル。可憐さと暴力性が同居したその演技は、視聴者に同情と恐怖を同時に抱かせ、物語全体の緊張感を支配する。 彼女と関わるケアワーカーのミヒャ役にはアルブレヒト・シュッフ。制度の内側にいる大人として、善意だけではどうにもならない現実と向き合う姿を、抑制の効いた演技で表現していた。

本作は、誰かを悪者にして終わる映画ではない。 善意を持った大人たちと、制御不能な衝動を抱えた少女が出会ったとき、社会の「仕組み」はどこまで対応できるのか。その問いを、感情を煽ることなく、淡々と積み重ねるように提示しいるのだ。

システム・クラッシャー

システム・クラッシャー

  • ヘレナ・ツェンゲル
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本作は以前から話題になっており、ウォッチリストには入れていた。しかし、イメージビジュアルから受ける印象だけで「これは相当重い映画だ」と直感し、なかなか再生ボタンを押せずにいた。精神的に余裕がない状態で観れば、しばらく引きずるだろうと思ったたからだ。

私は保育士資格を持っている。社会に出てから独学で取得した。しかし、保育士としては働かない。理由は単純で、私は子どもに感情移入しすぎてしまうからである。もしも「好ましくない教育」を受けている児童を目の当たりにすれば、私自身が心を壊してしまうだろう。

じゃあなんで保育士資格を取ったのかというと、単なる趣味だ。

話が逸れてしまった。要するに、子どもを中心に据えた精神的負荷の大きい映画は、観る側にもそれなりの覚悟を要求する。『システム・クラッシャー』も、まさにそうした一本だった。視聴すれば少々立ち直れない時間が襲うかもしれない。それを恐れて避けていた。しかし遂に来たのだ。キッカケは特にない。「覚悟ができた」というヤツだろうか。とにかく覚悟ができたのだ。そして私は視聴ボタンを押した。

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『システム・クラッシャー』あらすじ

9歳の少女ベニーは、強い衝動性と暴力性を抱え、家庭・施設・学校のいずれにも定着できずにいる。
児童福祉の支援を受けながら、養護施設や里親、特別支援の場を転々とするが、どの場所でもトラブルを起こし、結果的に居場所を失っていく。
彼女に関わる大人たちは、制度に基づき、善意と専門性をもって対応しようとする。しかし、ベニーの激しい感情の噴出と予測不能な行動は、そのどれもを許さない。
救おうとするほど関係は壊れ、距離を取れば見捨てているように感じられる。
ベニーの問題が改善される兆しは見えないまま、支援の手段だけが尽きていく。
この物語は、ひとりの「扱いきれない子ども」を通して、社会システムそのものの限界を静かに浮かび上がらせていく。

暴力を煽らない欧州映画的リアリズム──淡々と描かれるベニーの日常

『システム・クラッシャー』は、いかにも欧州映画らしい抑制の効いた雰囲気をまとっている。感情を盛り上げる音楽は最小限に抑えられ、カメラもドラマ性を強調しない。登場人物の心情を丁寧に説明することもなく、起きている出来事だけを淡々と積み重ねていく。視聴者に「どう感じるべきか」を指示しない距離感こそが、本作の基調である。

そうした静かなトーンの中で、突然に暴れだす少女ベニー。鬼神の如く、まるで世界そのものを憎んでいるかのように振る舞い、暴力に任せて物を投げ、汚い言葉を叫び続ける。かと思えば落ち着きを取り戻し、無邪気な子どもへと豹変する。その小さな身体には、怒りと悲しさを同時に携えていた。

”鬼”。

ベニーの暴れっぷりは強烈だが、物語自体は淡々と描かれる。彼女の爆発する感情や悲しみに満ちた表情で、視聴者も心を揺さぶられはするものの、それを「異常な出来事」として扱わない。それがベニーにとっての日常であり、映画はただその現実を映し続けているだけだからだ。

演出も決して派手ではない。ベニーという存在は強烈だが、繰り返される混乱や衝突に誇張や演出上の盛り上げは与えられない。何度も言うが、それは日常なのだ。過剰さもドラマ的な脚色も、意図的に排除されている。

それでも、本作が扱うテーマの重さゆえに、画面からは常に緊張感が漂う。恐怖というよりも、「落ち着かなさ」が終始付きまとう感覚に近い。ベニーの怒り、悲しみ、寂しさ、愛着、憎しみ、羨望――数え切れない情動が、まるで自分の感情であるかのように沸き上がってくる。

視聴には体力を要した。

そして、ひどく疲弊していた。何とも言えない、私はおろか、誰にもどうにもできない現実に打ちのめされ、非力さを憎んでしまうような感覚が残る。

作中でベニーの母親が呟く。

プロが無理で私に扱える?

福祉施設ですら手に負えない、行き場のない子ども。

ハッキリ言って救いはない。もっとも、視聴前からある程度は予想していたことだ。本作は徹底して現実を突きつけてくる。物語自体はフィクションだが、「システム・クラッシャー」と呼ばれる、どこにも居場所のない子どもたちをモデルにしている。つまりこれは、作り話でありながら、現実と地続きの物語であるのだ。

単なる問題児を描いた映画ではない。ベニーのような子どもに対応できる社会システムがまだ構築されていない、あるいは構築され得ない可能性まで含んでいる。

そして希望も未来も示さない。この映画の行く末、ひいては現代社会の行く末は、まだ誰にもわからないから。

 

見どころがない映画を成立させた、ヘレナ・ツェンゲルの演技力

本作『システム・クラッシャー』の内容に、いわゆる「見どころ」はほとんど存在しない。ベニーの暴力的な言動は冒頭から終盤まで続き、シナリオにも明確な起伏や大きな展開は用意されていない。何度も触れている通り、本作が描いているのはただの日常である。その日常が、型にハマる子どもたちより激しいだけだ。

物語や展開に注目すべきポイントは少ない。しかし、人物には明確な見るべき点がある。ほかでもない、主人公ベニーその人である。

ベニー役を演じたヘレナ・ツェンゲルは、本作でドイツ映画賞主演女優賞を史上最年少で受賞している。なにしろ私が視聴を始めて真っ先に感じたのは、作品の重さや過激さではなく、「演技すげぇ……」という一点だった。

この映画が最後まで成立している最大の理由は、ヘレナ・ツェンゲルの身体性と、制御不能に見える感情表現にある。感情を段階的に「演じている」のではなく、衝動がそのまま身体を突き動かしているように見える。そのため観客は、ベニーを理解できないまま、それでも視線を外すことができなくなる。

マジで凄い演技力。

特に異様なのは、その多面性の表現である。怒り、恐怖、甘えが一瞬で切り替わる。大仰な演技ではなく、眉の動き、眉間に寄るわずかなシワ、ほんの1ミリだけ緩む口元、まっすぐに愛を求める瞳──そうした細部の積み重ねによって、感情の振れ幅が立体的に浮かび上がる。

激しく暴れ、周囲を破壊する姿と、年相応の可憐さや脆さが同時に存在している。怖く見える瞬間と、哀れに見える瞬間が同居している点が決定的に異常だ。通常、子役は「守られる存在」としてフレーミングされる。しかしベニーは、「守られるべき存在」でありながら、大人を脅かす存在として画面に立っている。ここが、本作の演技における最大の特異点である。

だからこそ視聴者の内側には、「この子を救ってあげたい」という感情と、「この子とは距離を取りたい」という感情が同時に生まれる。その相反する感情を破綻させずに成立させているのが、ヘレナ・ツェンゲルの演技なのである。

私の語彙力の限界を承知で言えば、幼いながらも“天才”という言葉がふさわしい女優である。

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タイトルが示す「System Crasher」の意味──制度を壊すのは誰か

本作『システム・クラッシャー』というタイトルの意味は、ここまで読んでいただいた人なら明らかだろう。それは、想定された枠組みから外れた子どもが、社会の制度そのものを機能不全に陥らせてしまう存在である、という意味である。

暴力的な描写や感情の振れ幅の大きさは強烈だが、本作は単なる「問題児を描いた映画」には収まらない。描かれているのは、ベニー個人の異常性ではなく、児童福祉、養護施設、教育現場、家庭といった“正しそうに見える仕組み”が、次々と立ち行かなくなる過程だ。

作中に登場する大人たちは、怠慢でも悪意でもない。 ルールを守り、専門性を持ち、善意をもって対応している。それでも、対応できない。

ここに本作の冷酷さがある。問題は人間性ではなく、制度の設計思想そのものにあるのだ。

想定された範囲内の子どもに対しては機能する。しかし、想定を超えた存在が現れた瞬間、制度はフリーズしてしまう。 ベニーは、その“想定外”を体現する存在である。

だからこのタイトルは、「システムが子どもを壊す」のではない。「子どもがシステムを壊してしまう」という向きを持つ。

本作が突きつけてくるのは、「こういう子に対応できる社会システムが、まだ存在しない」という事実だ。 さらに踏み込めば、存在しないのではなく、存在させる覚悟が社会にないという含意まで読み取れるだろう。

希望も未来も提示されない。それ自体が、このタイトルと完全に一致している。

『システム・クラッシャー』は実話なのか?

さて、この物語は実話なのか?というのが気になるポイントではないだろうか。これほどまでにリアルで、これほどまでに感情的だ。とてもフィクションとは思えない。しかしながら、上述した通り、脚本はフィクションであり、ベニーのモデルになった少女も存在しない。作り物である。

実話ではない。 

それは調べればすぐ分かる。それでも「実話か?」と疑ってしまうのは、この映画が“特殊な事件”ではなく “どこかにありそうな制度の破綻”として描かれているからだ。

実際、「システム・クラッシャー」と呼ばれる子どもたちは存在する。監督のノラ・フィングシャイトが、女性ホームレスを追ったドキュメンタリー制作の過程で、14歳の少女が「システム・クラッシャー」として保護施設に拒否された事件をきっかけとして本作は製作された。これは想像だが、14歳というまだ成人を迎えていない保護されるべき少女が施設を転々とした末に行き場を失い、ホームレスとなってノラ・フィングシャイトと出会ったのではないか。

参考:映画「システム・クラッシャー」オフィシャルサイト

だからこそ本作はリアリティを伴って、より視聴者に訴えかけられる設計として完成させられた作品であるのだろう。

声を上げられるベニーと、声を失った子どもたち

さて、「システム・クラッシャー」として描かれるベニーは、実はまだ“声を上げられている側”の子どもである。 彼女は父親からの暴力によって、自分を守る手段として攻撃性を身につけた。だから怒りをあらわにするし、徹底的に愛に飢えている。「ママ、ママ」と必死に縋りつくし、ベニーが受け入れた大人には愛着を示す。

その姿を見て、私はむしろ、感情を爆発させることすらできない子どもたちの存在を考えさせられた。

虐待やネグレクト、いじめや暴力は、日本でも日常的に報道されている。しかし、その多くは声を上げられず、問題として表面化しないまま埋もれているのではないだろうか。

ベニーは鬼になることで生き延びた。だが、鬼にもなれず、ただ静かに怯えながら愛を求め続けている子どもたちは、確実に存在している。

表面化した問題だけを処理するシステムでは不十分だ。 見えないところに潜む問題すら拾い上げる仕組みが必要なのだと、私は感じた。

システムを壊す存在だけでなく、システムにすら掬われない存在にまで光を当てなければならない。そんなことまで仄めかしている作品ではないかと勘繰るほどに、『システム・クラッシャー』は実に計算され、実に管理された作品である。

 

こんな人にオススメ!

ドイツ映画『システム・クラッシャー』は、爽快さやカタルシスを求めるタイプの映画ではない。何かが解決されるわけでもなく、感情が綺麗に整理されることもない。ただ、現実の一断面が、そのままの強度で差し出される。

  • 問題児もの・福祉を題材にした映画に興味がある人
  • 「救いの物語」ではない現実的な人間ドラマを観たい人
  • 演技力そのものを評価軸に映画を観る人

逆に言えば、明確な起承転結や感動的な結末を期待すると、肩透かしを食らう可能性は高い。

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観終わっても終わらない映画

本作は「何を描いた映画か」と聞かれると、正直答えづらい。しかし「何を感じさせられたか」と問われるなら、確実に残るものがある映画である。

誰かを救う物語でも、制度を断罪する映画でもない。ただ、制度の中で生きる人間の限界と、その限界に振り回される子どもの姿を、逃げずに見せてくる。

観終わったあとにスッキリはしない。だが、忘れもしない。その居心地の悪さこそが、『システム・クラッシャー』という作品の核心なのだと思う。

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映画『システム・クラッシャー』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)

  • 監督:ノラ・フィングシャイト
  • 出演:ヘレナ・ツェンゲル, アルブレヒト・シュッフ, リザ・ハーグマイスター, ガブリエラ=マリア・シュマイデ
  • 公開年:2019年
  • 上映時間:120分
  • ジャンル:ドラマ

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