のんびり映画帳

映画レビューブログ「のんびり映画帳」。B級映画、配信作品、名作から地雷まで本音レビュー。感想だけでなく、独自の意見や考察を交えます。できるだけネタバレは控えています。

ホーム feedly お問い合せ PrivacyPolicy

『ラ・ラ・ランド』感想|ラストの意味を考察。“寂しいハッピーエンド”に号泣した理由

映画『ラ・ラ・ランド』は、監督・脚本をデミアン・チャゼルが務め制作された、2016年12月9日公開(原題:La La Land)のミュージカル・ロマンス映画。
夢を叶えたい人々が集まるロサンゼルスを舞台に、女優志望のカフェ店員と、古き良きジャズを愛する売れないピアニストが運命的に出会い、互いの夢を応援し合いながら恋に落ちていく姿を描く。セバスチャンをライアン・ゴズリング、ミアをエマ・ストーンが演じる。
共演はジョン・レジェンド、ローズマリー・デウィット、J・K・シモンズほか。

😭悲しくない。嬉しくもない。それでも、涙が止まらない。

映画『ラ・ラ・ランド』感想レビュー|なぜラストで涙が溢れたのか

夢は叶う。それでも、人は泣く。

映画『ラ・ラ・ランド』は、夢と愛の両立という甘いテーマを扱いながら、その裏にある「選択の代償」まで描き切った異色のミュージカル映画である。

監督はデイミアン・チャゼル。主演は女優志望ミア役のエマ・ストーン、ジャズに人生を捧げるセバスチャン役のライアン・ゴズリング。さらに、物語の転機を担うキース役としてジョン・レジェンドが出演している。

華やかな色彩設計、クラシカルなハリウッド・ミュージカルへのオマージュ、そして現代的な恋愛観。完成度は非常に高い。多くのレビューサイトで高評価を獲得しているのも納得できる。

ラ・ラ・ランド(字幕版)

ラ・ラ・ランド(字幕版)

  • ライアン・ゴズリング
Amazon

 

ミュージカルである。ミュージカルなんて相当に久しぶりだ。30年……くらい?『サウンドオブミュージック』以来かもしれない。

ストーリー冒頭の率直な感想は、「賑やかで派手だなぁ」。この二人のロマンスを描くんだろうなぁ。などと、なめ腐った態度で観ていた。

だが、ラストで感情は一変する。

涙が止まらず、エンドロールが終わっても私は泣き崩れていた。

二人は夢を叶える。どちらも成功する。物語としてはハッピーエンドである。

それなのに、涙は止まらない。

悲しいわけではない。嬉しいわけでもない。ただ、どうしようもなく寂しい。

あのラストは、「夢が叶う物語」ではない。「選択した人生と、選ばなかった未来」を同時に見せつける物語である。

幸福の中にある喪失。その静かな余韻が、胸に残り続ける。

……。凄い映画だった。

▶ 読みたいところだけチェック

 

『ラ・ラ・ランド』あらすじ

夢を抱いてロサンゼルスに集まった若者たちの中で、女優志望のミアと、伝統的なジャズにこだわるピアニストのセバスチャンは偶然出会う。オーディションに落ち続けるミアと、理想と現実の間で葛藤するセバスチャン。互いの情熱に刺激を受けながら、二人は恋に落ち、それぞれの夢を後押しする存在になっていく。
しかし、成功へ近づくほどに、理想として思い描いていた未来と、実際に手にした現実との間にズレが生まれていく。愛と夢は両立できるのか――その選択が、二人の人生を大きく分けることになる。

ハッピーエンドなのに泣ける理由|映画『ラ・ラ・ランド』感想(ネタバレあり)

上に予告編を置いているが、このテンションを想像して観ると裏切られる。これは単なる華やかな恋愛ミュージカルではない。もうチョー切ないから!ネタバレ?

知ったことか!!!
 

映画『ラ・ラ・ランド』は、夢を叶える物語である。二人とも成功する。誰も死なない。不幸な事件も起きない。形式上は完全なハッピーエンドだ。

それなのに、なぜだか涙が止まらない。

お涙頂戴の感動作ではない。号泣させるための演出もない。むしろ静かだ。それでも泣ける。嬉し泣きではない。かといって絶望的に悲しいわけでもない。ただ、どうしようもなく切なく、寂しい。

この感情は単純ではない。

二人は夢を叶え、それぞれ幸せな人生を歩んでいる。誰も間違っていない。それでも、あの「もしも」のモンタージュによって、選ばれなかった未来が可視化される。

あれは救済ではない。失われた可能性の提示である。

だから感情が整理されない。ハッピーエンドなのに、喪失感が残る。

すごく悲しくて泣けてくる。あれ?やっぱり悲しいのか?ワカラナイ。うまく感情が整理できない。

大人向けではある。艶やかにアダルティというわけではなく、若い人には「?」かもしれない。いや、これは偏見だけれども。ある程度の経験を積んでないと、単調に見えるかもしれないし、私が号泣している理由も理解できないかもしれない。というか、なぜ号泣しているのかを私自身もハッキリとは理解していない。

なんかもう、スゴカッタ!!
 

でもなんかこう、スゴカッタ!!で、終わらせちゃいけないような気もする。

この映画はそのー、すごくレベルが高いというか、理解はできるが、 なんか、すごく高級なコーヒーを飲んだ感じ。 例えば、すごく高級な焼肉を食べたら「うめぇ!」と思うけどさぁ、すごく高級なワインとか、すごく高級なシャンパンとか、飲んでもまぁ美味しくはあるんだけど、単純じゃないっていうか、肉よりも。ちょっと、複雑というか。 いや、ストーリー自体は別に複雑じゃない。むしろ王道。夢を追う男女が出会い、惹かれ合い、そして選択する。構造はいたってシンプルだ。ただ、表現というか、なんというか、ミュージカルだし。

理解はできる。完成度が高いことも分かる。だが単純に「最高!」と叫ぶタイプの映画ではない。

一度フィルターを通して味わう構造になっている。「理解はできるが、直感的快楽だけではない」という感触になる。 最大のポイントは終盤である。

カタルシス一発ではなく、「もしも」のモンタージュで観客に解釈を委ねる。 ここで感情が整理されきらない。ストーリーは単純。 しかし表現は高度に様式化され、映画史的文脈を背負い、感情処理も複雑。理解はできる。でも単純に“うめぇ!”とは言い切れない。

焼肉的快楽ではなく、ワイン的余韻が残る理由はここでだ。

 

『ラ・ラ・ランド』感想|“寂しいハッピーエンド”が残した強烈な余韻

本来ならここで、作品の見どころや評価ポイントを整理するべきなのだろう。しかし、『ラ・ラ・ランド』を観終えた直後の私は、それすら言語化できないほどの余韻に包まれていた。だから今回は、作品分析ではなく、私が体験した“温度”をそのまま記しておきたい。

検索ワード全捨て
 

映画を観終わったあと、私はしばらく泣き続けていた。それもツーっと頬を伝う涙ではなく、嗚咽すら出ていた。男泣きである。シクシクではなく、「うおおんうおおん」と狼のように大泣きしていた。というか、書いている今でも胸の奥がじわりと熱くなり、泣いてしまいそうだ。

なぜここまで泣いたのか。悲劇ではない。むしろ物語としては成功と達成の物語、いわばハッピーエンドだ。それなのに、どうしようもなく寂しい。この感覚こそが、『ラ・ラ・ランド』のラストが多くの視聴者に刺さる理由なのだと思う。

10分くらいひとしきり泣いたあと、私はとにかく誰かと話したくなった。ひとまず行きつけの、飲み放題のあるバーに電話をして営業していることを確認してから、私は夜道を歩いた。そんなに遠くない。20分程度だ。店に到着するまでの間、ずっと映画の余韻に浸っていた。「ふぅ~」とため息をついたり夜空を仰いだり、そしてやっぱりちょっと涙したりした。

「余韻がすごい。まだ終わっていない。」

冬の澄んだ空気の中、白い息を吐きながら何度もそうつぶやいた。

頭の中で何度も何度も映画が再生される。「余韻すげぇ。まだ続いてる」。冬の澄んだ空気の中、吐く白い息と共に私はそうつぶやいた。

バーに着いてからも私は映画の世界に浸っていた。トマトカクテルが好きだから、いつもはレッドアイとかブラッディメアリーを飲むのだけれど、トマトジュースを切らしていると言うから、いつも連れの友人がよく飲んでいる“JJ”というヤツを頼んでみた。初めて飲んだけど、スッキリした飲み口で美味しかった。映画も、カクテルも、新しい体験だった。

バーのマスターに『ラ・ラ・ランド』のラストについて語り、「これは“寂しいハッピーエンド”なんだ」と熱弁したが、観ていない人には伝わりきらない。やはりこの作品は、自分で体感してこそ意味を持つ映画なのだろう。

丑三つ時まで飲み、また歩いて帰った。思い切り泣いた夜だったが、不思議と後悔はない。むしろ、あれほど心を揺さぶられたことが嬉しかった。

『ラ・ラ・ランド』は、観終わった後に本番が始まる映画だ。
成功と夢を描きながら、同時に喪失と選択を突きつける。その余韻が、静かに、そして長く胸に残り続ける。

 

『ラ・ラ・ランド』はなぜ賛否が分かれるのか

『ラ・ラ・ランド』は高評価の多い作品だが、ラストについては意見がはっきり分かれている。名作だという声がある一方で、「モヤモヤした」「受け入れきれない」という感想もレビューでは少なくなかった。

ではなぜ、この映画は賛否が分かれるのか。

① 夢を取るか、愛を取るかという選択

物語の結末で、ミアとセバスの2人は夢を叶える。しかし、恋愛は成就しない。
ここが最大の分岐点だ。

肯定派の主張はこうである。
「人生は両取りできないこともある。だからリアルで美しい」。

一方で否定派は、
「なぜ両立させなかったのか。あれだけ恋愛を描いておいて別れさせるのか」。

つまりこの映画は、視聴者に“どちらを優先するか”という価値観を突きつけている。

② あのラストの“もしも”が残酷で美しい

終盤の幻想的なモンタージュ。
もしあの時、別の選択をしていたら——という可能性を一気に見せる構成だ。

この演出を「最高」と感じる人もいれば、
「感情を揺さぶりすぎている」と感じる人もいる。

だが確かなのは、あのシーンがあるからこそ、観る者は“喪失”を体感するということだ。

③ ハッピーエンドなのに寂しい理由

2人とも成功している。
人生は前に進んでいる。
誰も不幸にはなっていない。

それなのに、どうしてこんなに寂しいのか。

それは、この物語が「後悔」ではなく「肯定」で終わるからだろう。

もし2人が後悔していれば、視聴者は救われる。
「やっぱり一緒になるべきだった」と物語が言ってくれれば、感情は整理できる。

しかし、この映画は違うのだ。

2人とも、自分の人生を選び、それを肯定している。
だからこそ、“失ったもの”がより鮮明に浮かび上がるのだ。

結論:どちらも正しいから、割り切れない

『ラ・ラ・ランド』が賛否を生む理由は単純だ。

どちらの選択も間違っていないから。

夢を取ったのは正しい。
愛を手放したのも間違いではない。

だが、人は理屈だけで感情を整理できない。

その“整理できなさ”こそが、この映画の余韻であり、
私が体験した「寂しいハッピーエンド」の正体なのだと思う。

 

こんな人にオススメ!

『ラ・ラ・ランド』は万人受けする映画かと言われると、少し違うかもしれない。けれど、特定の人には深く、長く刺さる作品だと思う。

  • 夢を追った経験がある人
  • 大切な人との別れを前向きな選択だったと信じたい人
  • ハッピーエンドなのに泣ける映画を探している人
  • 余韻が何日も続く作品を体験したい人
  • ミュージカル映画に少しでも興味がある人

爽快感を求める人よりも、心を揺さぶられたい人に向いている。
観終わったあとに静かな時間を過ごせる夜に観ることをオススメしたい。

 


まとめ|“寂しいハッピーエンド”という体験

『ラ・ラ・ランド』は、夢が叶う物語だ。
同時に、何かを手放す物語でもある。

だからこそ、嬉しさでも悲しさでもない涙が流れる。
それは喪失ではなく、選択を肯定したことへの静かな感情なのかもしれない。

映画を観終わったあと、私は夜道を歩き、バーで飲み、また歩いて帰った。思い切り泣いた。でも、不思議と悪い夜ではなかった。

ハッピーエンドなのに寂しい。
この感覚を味わえただけで、観た価値はあったと思う。

もし今、心が少し揺れているなら。
その揺れをそのまま受け止めたいなら。

『ラ・ラ・ランド』は、きっとあなたにも余韻を残す映画だ。

.強い余韻を残す映画レビューはコチラ.

www.ikakimchi.biz

www.ikakimchi.biz

 

映画『ラ・ラ・ランド(2016年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)

  • 監督:デイミアン・チャゼル
  • 出演:ライアン・ゴズリング, エマ・ストーン, カリー・ヘルナンデス, ジェシカ・ローゼンバーグ, ソノヤ・ミズノ, ローズマリー・デヴィット, J・K シモンズ, フィン・ウィットロック, ジョン・レジェンド
  • 公開年:2016年
  • 上映時間:127分
  • ジャンル:ミュージカル, ロマンス, ドラマ

当サイトはアマゾンアソシエイト・プログラムの参加者です。
適格販売により収入を得ています。

© 2023– のんびり映画帳