のんびり映画帳

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映画『猫と私と、もう1人のネコ』感想|レビューが書きづらい理由を正直に書く

監督・祝大輔、脚本・阿久根知昭による、2024年3月22日公開の日本映画。
美術の道を志す高校生・清瀬櫻を吉名莉瑠が演じ、母親役として一青窈、父親役を津田寛治が務める。
家族の事情によって揺らぐ日常と、野良猫との出会いを通して、少女の孤独と選択を描くヒューマンドラマである。

🐈‍⬛テーマはヤングケアラー。しかし、深くは踏み込まない。

映画『猫と私と、もう1人のネコ』感想レビュー

一青窈が母親役として出演し、津田寛治が父を演じる。 このキャスティングだけを見れば、社会派の家庭ドラマを想像する者も多いだろう。

『猫と私と、もう1人のネコ』は、美術の道を志す女子高校生を主人公に、 家族という閉じた空間の中で、静かに負荷が積み重なっていく日常を描いた作品である。

主人公を演じる吉名莉瑠は、 感情を過剰に表出することなく、周囲に合わせ続ける少女の息苦しさを淡々と体現している。

タイトルにある「ネコ」は、物語を前に進める装置というよりも、 言葉にできない孤独や居場所のなさを映し出す象徴として、作品全体に影を落とす存在だ。

 

Xでわずかに見かけた本作。 タイトルに惹かれるものがあり、そして「猫が出てくる映画に悪いものはない」という、 半ば根拠のない期待とともに再生した。

上映時間も98分と短めで、寝る前に軽く観るつもりだったのだが―― 実際に流れてきたのは、思っていた以上に素人仕事が目につく映画だった。

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『猫と私と、もう1人のネコ』あらすじ

美術を続けたいと願う高校生の少女は、家庭の事情によって自分の進路や時間を自由に選べない状況に置かれている。母の病をきっかけに、家の中の役割は静かに彼女へと偏り、理解しているようで何も決めない父の存在が、かえって孤独を際立たせていく。そんな日常の中で、彼女は一匹の野良猫と出会い、言葉を交わさない関係の中に、わずかな救いと自分自身を重ねていく。

映画としての完成度:インディーズ以前の技術的問題

本作は一般的なメジャー配給作品とは異なり、インディーズ寄りの上映形態をとっているっぽい。

しかし、それを考慮したとしても、『猫と私と、もう1人のネコ』は映画としての完成度に大きな問題を抱えていると言わざるを得ないだろう。 映像、演出、演技のいずれにおいても拙さが目立ち、鑑賞を継続すること自体が正直に言ってキツかった。

インディーズ作品という立場を免罪符にしても、看過できる水準ではない。

主演の吉名莉瑠は外部レビューでは高評価を受けていたが、 肝心の感情表現、特に泣きの芝居に関しては「まずまず」という印象にとどまる。 厳しく見れば、学校の演劇部レベルの域を出ておらず、映画として観客を引き込む力には欠けている。 加えて、作品全体を覆うテンポの悪さも致命的だ。 序盤は特に間延びが顕著で、意図的な演出というより、構成そのものが冗長に感じられる。 

尺を埋めるためにわざと引き伸ばしてない?「はやく本題に入れよ」とムズムズしていた。

美術設定や小道具の扱いにも問題がある。 美大進学を目指す美術部員という設定でありながら、劇中で描かれる作品のクオリティは小学生レベルで、 物語の説得力を大きく損なっている。 舞台美術の簡素さも、意図されたミニマリズムとは受け取れず、 単純なリソース不足による安っぽさが露呈しているように見えた。

ミニマリストならいいんだけど、そうじゃないんでしょ?

さらには、細部への配慮の欠如も没入感を削ぐ要因となっている。 例えば、起床直後、ベッドから起き上がるシーンであるにもかかわらず、すでにしっかりとバッチリメイクが施されていた。こうしたリアリティを軽視した描写は、制作側の意識の低さを感じさせ、視聴者を物語世界から引き戻してしまう。本作特有の素朴な質感を好む層であれば受容できるのかもしれないが、 映画として一定の完成度や強度を求める視聴者にとっては、 最後まで観続けるのは容易ではないだろう。

 

構成の破綻:ヤングケアラーという題材を扱いきれない散漫さ

本作『猫と私と、もう1人のネコ』は、いわゆる「ヤングケアラー」を主軸に据えた作品である。しかしご理解の通り、評価の着地点を見出すことが極めて難しい。映画としての完成度は赤点と言わざるを得ないが、その赤点をどう解釈すべきかでさえ判断に迷う。例えるなら、幼稚園のお遊戯会で演劇「白雪姫」を観せられ、表現力やテーマ性について論評を求められるような感覚に近い。「表現はどうだった?」とか「テーマはどうだった?」とか訊かれても困る。せいぜい「可愛らしかったです」という感想にとどまるだろう。

うん、フレッシュさはあった。それは間違いない。

個々のシーン単体を見れば、決して致命的に出来が悪いわけではない。しかし全体を俯瞰すると、構成は著しく"ちぐはぐ"で、要領を得ない。シーンとシーンを繋ぐはずの「バトンパス」がほとんど機能していないのである。加えて、一編の映画に盛り込まれた要素があまりにも多すぎる点も看過できない。ヤングケアラーという重いテーマを扱うのであれば、そこに焦点を絞るべきであったはずだが、両親の不仲、進路への葛藤、児童養護施設入所児童の登場など、要素が過剰な上に、それぞれが有機的に噛み合っていなかった。

両親はあまりに短絡的に別れるし、進路の問題も掘り下げが浅い。担任教師との面談などを通して現実味を補強する余地はいくらでもあっただろう。児童養護施設の子どもに至っては、迷い猫との対比を意図した存在と思われるが、一、二度登場したのみで、気づけば里親に引き取られていたという説明で処理されてしまう。別れの描写すらなく、さよならのメモ一枚で完結させる展開はあまりに安易である。正直なところ、余計なサブプロットを削ぎ落とし、猫との関係性だけに絞った方が、よほど筋の通った作品になったはずだ。

極め付けは母親が絵に描いたような毒親である。まぁ「私が敷いたレールを子に歩かせる」的なのは結構あるから、それは良いとして(良くはないが)、介護してくれている娘(櫻)に対して精神的に依存しまくり、それでいて癇癪を起こす。頭小学生かよ。大人の振る舞いとは言い難い。体が思うように動かない歯痒さや、キャリア喪失への悔しさは理解しないでもないが、共感は全くできなかった。

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身の上を嘆いたり、精神的に追い詰められる描写は別にかまわないのだが、母親自身がそれを受け入れ、自ら変わろうとする姿を描けていたら、全く評価が違っただろう。

結局のところ、物語は多くの問題を抱えたまま、なし崩し的に「なあなあ」で進行し、ご都合主義的な結末を迎える。「終わり良ければ全て良し」じゃあねぇんだよ。

本作は葛藤に決着をつける物語ではなく、出来事が「通過」していくだけの映画である。その結果、本質的な問題は宙に浮いたままとなり、映画体験としての手応えは極めて薄いものに留まっている。

 

映画の核心:描くだけ描いて「知らん顔」をする無責任さ

では、この映画は一体、何を描きたかったのだろうか?

ヤングケアラーの実態なのか、家族の再生なのか、あるいは孤独のメタファーとしての猫なのか。残念ながら本作は、その問いに対して最後まで明確な答えを提示しない。結果として鑑賞後に残るのは、「これは何についての映画だったのか」を正確に説明できないという、強い釈然としなささである。

まぁヤングケアラーを描いてはいるんだけど、浅くて本題が疑わしい。

劇中では、ご都合主義的な展開によって主人公・櫻の生活は一応の落ち着きを取り戻す。しかし、その安易な”救済”こそが、作品が本来向き合うべきだった問題をすべて曖昧にしてしまっている。誰も完全な悪者にせず、誰の責任も強く問わない。結果、登場人物たちは本質的に何一つ変わらないままなのだ。

そこには一見するとなんだか「優しさ」のような空気が漂っている。しかしそれは、表現者としての厳しさや覚悟を欠いた態度に過ぎない。描くだけ描いて、あとは知らん顔。それを「観客の解釈に委ねる演出」と呼ぶのは、あまりにも都合の良い免罪符であろう。

本来、視聴者に解釈を委ねるためには、それに見合うだけの思考材料を提示する必要がある。ただ状況を描写するだけで踏み込まず、あとは観る側に丸投げする。それは信頼ではなく、単なる「無責任な放り投げ」である。こうした制作側の姿勢が積み重なった結果として、私は強い違和感と釈然としない思いを抱くに至った。

考察:タイトルに隠された「もう1人のネコ」の正体

ここからはオマケとして、本作のタイトルについて一つだけ考察しておきたい。『猫と私と、もう1人のネコ』における「もう1人のネコ」とは、一体誰を指しているのか。

結論から言えば、「もう1人のネコ」=櫻自身であると解釈できるだろう。

劇中において櫻は、以下のような象徴的な状態に置かれている。

  • 家族という集団の中で、本音を押し殺して生きている
  • 進路も感情も、周囲に「飼い慣らされそう」になっている
  • 明確な居場所を持てず、自由と不安の狭間を彷徨っている

つまり櫻は、「家にいながら安心できず、誰にも完全には理解されないが、それでも生きていくしかない存在」として描かれている。その姿は、街を彷徨う野良猫の在り方と重なり合う。

この視点に立てば、タイトルは以下の三層構造を成していることが見えてくる。

「私(人間としての櫻)」「ネコ(実在する野良猫)」「もう1人のネコ(櫻の孤独な内面と生き方)」。

映画としての完成度はさておき、このタイトルの付け方と意味の持たせ方に関してだけは、一定の巧さを認めざるを得ない。

 

こんな人にオススメ!

本作は完成度の高い映画体験を求める層には正直オススメできない。一方で、以下のような視点を持つ観客であれば、別の意味で引っかかる部分があるかもしれない。

  • インディーズ映画の粗さや未熟さを含めて観察対象にできる人
  • 物語の完成度よりも、企画意図やタイトル設計に興味がある人
  • 「なぜうまくいかなかったのか」を考えること自体を映画体験と捉えられる人

癒しや感動を期待して再生すると肩透かしを食らうが、批評的な目線で観る分には、一定の材料は残されている作品である。

 


総評:書きづらさだけが正直な感想だった

本作のレビューがここまで書きづらかった理由は明確である。技術的な未熟さに加え、テーマに対して踏み込む覚悟が見えず、評価の軸を定めさせてくれないからだ。語りすぎないのでもなく、解釈を委ねているわけでもない。ただ核心を避け続けている。その曖昧さが、鑑賞後の手応えのなさに直結していた。

結果として、ヤングケアラーという重い題材も、家族の問題も、個々の葛藤も、すべてが「通過」していくだけで終わる。そこに物語としての決着はなく、映画体験としての強度も残らない。

それでも不思議なことに、タイトルだけは残った。内容以上に雄弁なタイトルと、その言葉の響きだけが、作品の痕跡として記憶に引っかかる。もし本作に何かを見出すとすれば、その一点に尽きるだろう。

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映画『猫と私と、もう1人のネコ(2024)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)

  • 監督:祝大輔
  • 出演:吉名莉瑠, 一青窈, 津田寛治, 市川右若, 市川新八, 大國千緒奈, 坪内陽子, 福田サン, 白川雄也, 塩田みう, 松浦弘歩, 樋口千颯
  • 公開年:2024年
  • 上映時間:98分
  • ジャンル:青春, ドラマ

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