のんびり映画帳

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『フランケンシュタイン』エリザベスはなぜ怪物を恐れない?“尊さ”の理由と「私は死ねない」の意味を考察

この記事でわかること
  • 映画『フランケンシュタイン』の映像美と作品の魅力
  • エリザベスはなぜ怪物を恐れず尊さを感じたのか
  • 怪物の台詞「私は死ねない」が意味するもの
  • ラスト後、怪物はその後どう生きたのか
映画『フランケンシュタイン』は、監督・脚本をギレルモ・デル・トロが務め、2025年10月17日にアメリカで劇場公開され、同年11月7日にNetflixで配信開始されたホラー映画。
メアリー・シェリーの同名小説を原作とする。母親の死を機に死者の再生に執着するようになった天才科学者ヴィクター・フランケンシュタインが、禁断の実験によって新たな生命を創造する過程を描く。ヴィクターが自ら生み出した怪物を拒絶して鎖で制御しようとする一方、無垢な状態から知性を獲得した怪物が、自分を拒絶した創造主を追って北極圏の船上に至るまでの両者の対立と逃避行を追う。主人公のヴィクター・フランケンシュタインをオスカー・アイザック、怪物をジェイコブ・エロルディが演じる。
共演はミア・ゴス、クリストフ・ヴァルツ、フェリックス・カメラー、ラース・ミケルセン、デヴィッド・ブラッドリーほか。

www.netflix.com

映画『フランケンシュタイン』(2025)は、メアリー・シェリーの古典小説『フランケンシュタイン』を原作に、ギレルモ・デル・トロが監督・脚本を手がけたゴシックホラー作品である。生命を生み出すという禁忌に踏み込んだ科学者ヴィクター・フランケンシュタインと、彼によって創り出された存在の孤独と悲劇を描いた物語だ。

ヴィクター・フランケンシュタインをオスカー・アイザック、怪物をジェイコブ・エロルディが演じ、ミア・ゴスらが出演。重厚なゴシック美術と幻想的な映像表現で知られるデル・トロらしい演出の中で、生命創造の傲慢や創造者の責任といったテーマを静かに問いかける映画『フランケンシュタイン』となっている。

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映画『フランケンシュタイン』の映像美|ゴシックホラーとしての魅力

映画『フランケンシュタイン』を観てまず私が感じたのは、時代感の作り込みの凄さである。セットや衣装、美術の細部まで徹底的に作り込まれており、洋画ならではのスケールの大きさを強く感じさせる。

この映画『フランケンシュタイン』は、重厚な美術と幻想的な映像表現の美しさが特に印象に残る作品でもある。単なるホラー映画というより、ひとつの芸術作品を見ているような感覚に近い。

映画を観ている途中で、私はふと思った。この映画のレビューはうまく書けないかもしれない、と。

それほどまでに美しい。美しすぎて文章にできないのである。 ”美しい”とはなにも映像演出や舞台美術だけではない。映画作品として、美しい。こんな崇高な作品を、私が評価していいのだろうか。

美しい映画だ。高貴すぎてどう書けばよいのかわからない

美術館で、言葉では説明できないほど印象的な絵画を見たときの感覚に近い。技法や歴史的背景はわからない。それでも「すごい作品だ」ということだけは感覚として伝わってくる。そんな体験である。

この映画『フランケンシュタイン』にも、まさにそのような感覚を覚えた。

派手な作品ではない。しかし静かな画面の奥で、何かが燻り続けているような衝撃がある。穏やかな映像の中に、どこか激しさが潜んでいる。

雷鳴が響く場面や船を揺すぶるなど荒々しいシーンもあるが、作品全体の空気はどこか落ち着いている。それなのに不思議と心がざわつき、気づけば強く引き込まれていた。

グロテスクな描写も確かにある。しかし、この映画の本質はそこではない。重厚な美術と陰鬱な空気の中で物語が進むこの作品は、まさにゴシックホラーというジャンルの魅力を強く感じさせる映画『フランケンシュタイン』である。

ゴシックホラーとは:
ゴシックホラーとは、古い城や屋敷など陰鬱な舞台を背景に、人間の恐怖や狂気、禁断の知識を描くホラーの一ジャンルである。怪物や亡霊といった存在だけでなく、孤独や悲劇といったテーマが扱われることも多く、文学や映画で長く用いられてきた表現様式である。

 

『フランケンシュタイン』はなぜ悲劇に見えるのか|物語構造を考察

原作を知らない状態で映画『フランケンシュタイン』を観た私が感じたのは、ホラーではなく「悲劇としての物語」であった。

私は『フランケンシュタイン』を観るのは今回が初めてである。数多く存在する関連映画作品の中で、この物語に触れるのは初体験だ。原作も読んでいない。

正直に言えば、どのような姿勢でこの映画と向き合えばよいのか分からなかった。「何を楽しめばいいのか」「どう楽しめばいいのか」。そもそも楽しむ類いの作品なのかさえ想像がつかない。

長い年月をかけて、名作として語り継がれてきた物語である。古典に触れるような緊張感、あるいは恐れに近い感情すらあった。

しかし視聴を始めると、その戸惑いはすぐに消えた。

ゴシック的な演出、美術と照明、計算された画面構図、そして作品全体に漂う独特の空気感。こうした演出と舞台美術の力に、すぐに引き込まれてしまったからだ。

だから本作のレビュー評価が高い理由も、おそらく単純に「物語が面白い」からだけではない。古典的な物語を、現代の映像表現でどのように再構築したのか。その点に魅力を感じている人も多いのではないだろうか。

一言で言えば、この映画から感じたのは「荘厳さ」である。悲劇でありながら、どこか神話のようでもある。そんな不思議な感覚に包まれる。

しかし、ここでまた別の疑問が頭をよぎる。「これは絵画のような映像として観るべきなのか」「物語として味わうべきなのか」。あるいは、そのどちらでもないのかもしれない。

この作品は、観る側の視点によって印象が変わる映画だろう。

原作や過去の映画化作品を知っている人であれば、最新の映像表現でどのように再構成されているのか、あるいはストーリーの違いに注目するかもしれない。原作を、監督のギレルモ・デル・トロがどのように解釈したのかを見るのも大きな楽しみ方の一つだろう。

一方、原作を知らない私がこの映画から感じたのは、孤独と悲しみである。

原作を読んでいない立場でこの偉大な物語を私が評価するのは、どこかおこがましい気もする。だからこそ私は、まず表現や演出を中心にこの作品を観ていた。

それでも、あえて言うならば、この物語は「悲劇」である。

その感覚を決定づけたのが、作中で怪物が語る次の言葉だ。

「私は死ねない。生きるのに独りは――つらい」

― 作中より ―

この一言が、この映画の本質を象徴しているように思えた。

『フランケンシュタイン』において怪物が抱えているのは、単なる恐怖ではない。存在そのものの悲劇である。

普通の人間であれば、苦しければ死ぬこともできるし、孤独から逃れることもできる。しかしこの存在は違う。生まれてしまった以上、どこにも居場所がない。それでいて、終わることもできない。

つまりこの台詞は、「不死に近い存在」「孤独」「創造された生命の悲劇」という三つの要素を、わずか一行で言い表している。

そのため、この映画のトーンは一般的なホラーというより、むしろ悲劇文学に近い。

私は原作を読んでいないと先ほど書いた。しかしそれでも「フランケンシュタイン」といえば、怪物そのもののことではなく怪物を作った科学者の名前であり、その怪物は醜い姿をしていながら心は優しく純粋で、悲しい運命を背負った存在だという話は聞き及んでいる。

本作でも怪物は単なる悪ではなく、孤独な存在として描かれている。そしてデル・トロ版では、その悲劇性が、たぶん、特に強調されているように感じた。

だからこそ、私が最初に抱いた「美しい映画だ。高貴すぎてどう書けばよいのかわからない」という感覚は、この台詞と深くつながっているのだと思う。

この映画の美しさは、単なる映像の美しさではない。そこにあるのは「悲劇の気高さ」とでも言うべきものだ。

その意味で、この言葉はとても重い。

「私は死ねない。生きるのに独りは――つらい」

『フランケンシュタイン』は単なるホラー映画ではなく、古典文学の悲劇と真正面から向き合った映画作品だと感じた。

 

エリザベスはなぜ怪物を恐れない?“尊い”と感じた理由を考察

『フランケンシュタイン』を観ていて一つ気になったことがある。エリザベスは、なぜ異形の怪物を恐れなかったのだろうか。むしろ彼女は怪物に対して、恐怖ではなく尊さに近い感情を抱いているように見える。

メタ的な話をすると、ギレルモ・デル・トロ監督は、グロテスクで異形の存在と人間の感情を結びつけて描くことが多い作家として知られているらしい。異形の存在と人間の女性が惹かれ合う構図は、彼の作品でしばしば見られるテーマであるようだ。ネットでそんな風に書かれていた。

しかし、単なる作家の趣味だけで説明してしまうと、物語としての説得力が薄れてしまう。作中の描写をもとに考えるなら、エリザベスの人物像そのものに理由があるのではないか。

エリザベスは作中で、普段から「命」に対して特別な関心を持つ人物として描かれている。森の中で蝶と戯れる場面があったり、昆虫に関する本を集めている描写もあったりする。つまり彼女は、生き物そのものに対して強い興味や敬意を抱く人物なのだ。

そんな彼女の前に現れたのが、あの怪物である。

怪物は人間でもない。動物でもない。死体でもない。しかし、確かに生きている。
言ってしまえば、人間と死の境界に立つような存在である。

このような境界的な存在は、しばしば神話や宗教の世界では特別な意味を帯びる。人間が作った存在であるにもかかわらず、そこには確かに「生命」が宿っているのだ。その矛盾に触れたとき、人は単純な恐怖ではなく、生命そのものへの畏れを感じることがある。

普段から命に対して強い関心を持つエリザベスにとって、怪物は恐ろしい存在であると同時に、生命の神秘を体現した存在にも見えたのではないだろうか。

さらにエリザベスは怪物のことを「Pure(純粋)」だと語る場面がある。

怪物は社会の中で育った人間ではない。そこには欲望や打算、社会的な嘘といったものがまだ存在していない。言い換えれば、世界に投げ出されたばかりの生命に近い存在なのである。

そのためエリザベスの目には、彼は恐ろしい怪物でありながら、同時に生まれたばかりの無垢な存在として映ったのかもしれない。

つまりエリザベスは、怪物の姿ではなく、その奥にある「生きているという事実」そのものを見つめていたのではないだろうか。

もちろん彼女の心の奥には恐れもあったのかもしれない。しかしそれ以上に、目の前に存在する生命そのものに対して、畏敬に近い感情を抱いた。その結果として、怪物を拒絶するのではなく、尊い存在として受け入れたのではないかと私は感じた。

 

ラスト後、怪物はどう生きたのか|「私は死ねない」の意味から考察

映画『フランケンシュタイン』のラストは非常に静かな終わり方である。怪物はただ夕日の沈む地平線を見つめ、そのまま物語は幕を閉じる。その後どうなったのかは明確には描かれない。しかし作中の台詞や状況を考えると、いくつかの可能性は見えてくる。

まず重要なのは、怪物自身の言葉である。「私は死ねない。生きるのに独りはつらい」。この台詞は怪物の存在そのものを象徴している。彼は孤独であり、苦しんでいる。しかし同時に、自ら終わることもできない存在として描かれている。

さらにヴィクターは死の直前、怪物に向かって言葉を残す。

死ねないというのなら生きている間は――自分を許せ
生きる以外の道があるか?

生きろ

これは単なる慰めではなく、創造者が創造物に与えた最後の言葉とも受け取れる。自分が生み出してしまった生命に対し、否定ではなく“生きること”を認めた瞬間でもある。

もし怪物が本当に死ねない存在なのだとすれば、この言葉はほとんど命令に近い意味を持つ。生まれてしまった以上、生き続けるしかない。どれほど孤独であっても、どれほど世界から拒絶されてもである。

ラストで怪物が見つめている地平線は、終わりではなく“これから続く時間”を示しているようにも見える。物語はそこで終わるが、怪物の時間は終わっていない。むしろそこから長い孤独が始まるとも考えられる。

つまりこの映画は、怪物の結末を断定していない。しかし少なくとも自ら命を絶つような描写はなく、彼はまだ世界のどこかに存在している可能性が高い。

ヴィクターの言葉を受けて、怪物は生き続けたのかもしれない。誰にも理解されないまま、それでも世界のどこかで。ただ生きているという理由だけで。

もしそうだとすれば、『フランケンシュタイン』という物語は、怪物が生まれた瞬間に終わるのではなく、むしろそこから始まる悲劇なのかもしれない。

 

『フランケンシュタイン』はどんな人におすすめか

『フランケンシュタイン』は、一般的なホラー映画とは少し趣が異なる作品である。怪物が暴れ回る恐怖を楽しむ映画というよりも、孤独や生命の意味を静かに問いかける、重厚な物語となっている。そのため、次のような人には特にオススメできる。

  • 美術や映像の作り込みなど、映画の世界観をじっくり味わいたい人
  • ホラーというより、悲劇的な人間ドラマや文学的な物語が好きな人
  • 古典作品を現代の映像表現でどのように再解釈しているかに興味がある人
  • 映画を観たあとに、テーマや意味をゆっくり考察するのが好きな人

派手な展開を求める人には少し静かな作品に感じるかもしれない。しかし、映像美と重厚なテーマが合わさった本作は、映画というより一つの芸術作品のような魅力を持っている。

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映画『フランケンシュタイン』考察まとめ|評価が分かれる理由

映画『フランケンシュタイン』は、単なるホラー映画ではなく、生命や孤独といったテーマを静かに描いた作品である。そのため、本作の評価は大きく分かれやすい。

理由の一つは、作品の“見方”によって印象が変わる点にある。怪物が暴れ回るような恐怖を期待して観ると、本作は極めて静かで、展開も抑制的に感じられるだろう。一方で、悲劇や文学的な物語として受け取ると、孤独や存在の苦しみを丁寧に描いた重厚な作品として評価される。

もう一つは、物語の“説明の少なさ”である。本作は感情や関係性を明確に言語化せず、観る側に解釈を委ねる場面が多い。そのため、深く読み取れる人には余白として機能するが、分かりにくさとして受け取られる場合もある。

象徴的なのが、怪物の台詞「私は死ねない。生きるのに独りはつらい」である。この言葉に、存在そのものの悲劇を見出すか、あるいは説明不足と感じるかで、作品の評価は大きく変わる。

つまり本作は、分かりやすい物語を提示する映画ではなく、観る側の解釈によって意味が立ち上がるタイプの作品である。そのため、映像美やテーマ性を重視する人には強く刺さる一方で、明確な物語性を求める人には合わない可能性もある。

この“受け取り方の差”こそが、『フランケンシュタイン』の評価が分かれる最大の理由である。

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映画『フランケンシュタイン(2025年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)

  • 監督:ギレルモ・デル・トロ
  • 出演:オスカー・アイザック, ジェイコブ・エロルディ, ミア・ゴス, クリストフ・ヴァルツ, チャールズ・ダンス, フェリックス・カメラー, デヴィッド・ブラッドリー, ラース・ミケルセン, クリスチャン・コンヴェリー
  • 公開年:2025年
  • 上映時間:112分
  • ジャンル:ホラー, ドラマ

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