生まれつき病気を抱える17歳のクロエは、母ダイアンと二人で暮らしていた。しかしある日、母が与える薬に違和感を抱いたことをきっかけに、彼女は母の隠された秘密へ気付き始める。
ダイアンをサラ・ポールソン、クロエをキーラ・アレンが演じる。共演はパット・ヒーリー、サラ・ソーンほか。

映画『RUN/ラン』は、母と娘という最も近い関係の中に潜む恐怖を描いたサイコスリラー映画である。外界から完全に切り離された環境で育てられた少女クロエが、母ダイアンの"献身的な愛情"にある違和感を覚えた瞬間から、物語は静かに、しかし確実に狂い始める。
母ダイアン役を演じるのは、『アメリカン・ホラー・ストーリー』シリーズでも知られる実力派女優サラ・ポールソン。一見すると優しく献身的な母親でありながら、どこか拭えない不穏さを漂わせるその演技は、観る者に深く刺さる。対するクロエ役には、実際に車椅子ユーザーでもある新鋭キーラ・アレンを起用。閉ざされた生活の中で少しずつ真実へと近づいていく少女の不安と執念を、繊細かつリアルに体現している。
本作の最大の特徴は、派手なホラー演出に頼らない点にある。「この母親は本当に娘を愛しているのか?」という一つの疑念を丁寧に積み重ねることで、逃げ場のない息苦しさと緊張感を最後まで維持し続ける。ミュンヒハウゼン症候群や過保護・支配的な親子関係に関心がある方にも刺さる作品だ。おすすめサスペンス映画を探しているなら、視聴を試みても良い一本である。
※本レビューはネタバレを含みます!
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映画『RUN/ラン』感想|事前情報ゼロで観たら正解だった
映画『RUN/ラン』。X(旧ツイッター)で二人くらいがお勧めしていたから、観てみることに。なんだか事前情報なしで視聴したほうが良いというので、何も仕入れず配信画面のあらすじすらも読まなかった。
だから途中まで、ヒューマンドラマなのか、サスペンスなのか、ミステリーなのか、ホラーなのか全然わからない。
ずーっと謎。
40分を過ぎるまではどういう映画か推測しつつ、ただなんとなく不穏な雰囲気が漂っているのを楽しんでいた。少なくともコメディではない。こういう楽しみかたもオツなものだ。足が動かせず車椅子生活のクロエ。「ここからスプラッターにでも襲われるのか?」とか勘繰ってしまうし、19分25秒あたりで背後にうっすら人影が映っていて「心霊ホラーかな?」とも思ってしまう。
半分も過ぎる頃、ようやく映画の主旨がわかってくる。毒親サイコスリラーだ。しかも本当に薬と称して毒を盛っているのが興味深い。というか、親ですらなかった。
主人公のクロエが病弱で足が動かないのは、薬により後天的・人工的に作り出された症状だ。しかも彼女は過去に誘拐されていた。一見、代理ミュンヒハウゼン症候群を描いたもののように見える。
周囲から「献身的な親」と思われたい心理などが背景にあるとされ、『RUN/ラン』でもこの問題を連想させる描写が登場する。
しかし本作は通常のそれとは一線を画す。母親のダイアンは(実際には母親ではないけれど)、献身的な親を演じて注目を浴びたいわけではなく、むしろクロエを逃さないため、自分に依存させるためにそうしていたのだ。郊外からかなり離れた森の中に住んでいるし、クロエをなるだけ人目にさらさないようにもしている。
「実は毒を盛られていた?」それに気付いたクロエは逃げ出そうとするが、これがまた一筋縄ではいかない。そういう映画だった。
ストーリーの前半は、身体が不自由ながらも大学進学を目指すクロエと、それを支える母親との生活を淡々と描く。むしろ微笑ましくすらあるが、後半から徐々に母親の化けの皮が剥がれていく。平穏からの疑念、そして核心へと迫っていく緊張感は指数関数的にボルテージを上げていき、なかなか勢いがあってよろしい。
特に印象に残ったのが、クロエの車椅子の操作だ。操縦? 運転? かもしれないけれど、そのホイール捌きは見事なもの。急発進・急ストップ、唐突な進路変更に急カーブなど、そういうスポーツがあったら芸術点をあげたいくらいだ。そうとう練習したのだろうか。追い詰められる恐怖というものを、正しく形にしていた。とか思っていたら、クロエ役のキーラ・アレンは実際に車椅子ユーザーらしい。幼少期に「横断性脊髄炎(transverse myelitis)」という神経系の疾患を発症しており、実際に脚が不自由なのだという。なるほど納得できた。にしてもだ、普段あんなに苛烈に車椅子を操ったりはしないだろうから、それなりにトレーニングしたに違いない。
また内容とは関係ないが、『RUN/ラン』というタイトルもセンスがあると感じた。"RUN=走る"の意味だがクロエは走れない。しかし"RUN=逃げる"のだ。走れないのに逃げる、という意味をたった三文字に込めた巧い表現だと思う。
本作『RUN/ラン』は前後半のテンションの高低差と、その激しさを楽しむ映画だ。多少の、いや結構な数の「現実的にどうなの?」な描写はある。しかしそれを展開の勢いで突っ走るのが、この映画の本質だ。正に「RUN」。細かいところは抜きにしてフィクションとして楽しむべき作品だろう。傑作とは言えないが、そういうノリが大丈夫な人なら充分に楽しめる。
『RUN/ラン』は実話? モデルになった実際の事件との比較
「映画 RUN 実話」で検索すると、サジェストにこのワードが出てくる。視聴後に「これは実話なのか?」と気になった人が多いのだろう。
結論から言えば、実話ではない。というか、次項で述べるが現実的に不可能に近い部分が多い。
ただし、現実に存在した虐待事件や代理ミュンヒハウゼン症候群をモチーフにしている可能性はかなり高いと思う。
特によく比較されるのが、ディー・ディー・ブランチャードと娘ジプシー・ローズ・ブランチャードの実事件だ。
この事件では、母親が娘に対して以下のことを長年にわたって続けていた。
- 重病だと思い込ませる
- 車椅子生活を強制する
- 不要な薬や治療を受けさせる
- 外界から隔離する
娘は実際には歩けたが、支配され続けていた。世界的にも有名な事件だから、「どこか似ている」と感じた視聴者も多いのだろう。
ただし映画側は「特定実話ベース」とは公式に明言していない。あくまで現実の虐待事例や症候群を参考にした、フィクション作品という位置づけだ。
『RUN/ラン』の見どころと「ここが引っかかった」ポイント考察
本作『RUN/ラン』の見どころは、もうほとんど話してしまった。序盤の落ち着いた雰囲気からの急転直下の緊張感・緊迫感。肢体が不自由なりのクロエのアクションシーン、エンディング前の立場逆転。その一つ一つに魅力がある。
しかしながら本作はサスペンス・ミステリーゆえに、「リアリティ的にどうなの?」と引っかかったポイントも多々ある。せっかくなので言及しておこう。
戸籍・身元問題:誘拐した子どもをどうやって育てたのか
まず、もっとも謎なのがクロエの身元や戸籍だ。ダイアンは他人の子どもを誘拐してクロエとして育てた。戸籍はどうしたのだろうか? クロエは正規の病院に通っているし、保険を使うなら戸籍は必要だ。アメリカは日本のような国民皆保険制度ではないから、必ずしも医療保険は必要ではない。しかし薬で作られた人工的な症状とはいえ、喘息・皮膚病・糖尿病・下半身不随まで抱えているのだ。保険なしでは医療費が莫大になるし、なんらかの支援手当を受けるにも戸籍がいる。
さらにはクロエは大学に合格した。受験にも戸籍は当然必要だろう。出生証明・病院記録・保険・学校・行政登録、とかくなんでも必要で、現実ならどこかで矛盾が生じるはずである。
映画側は「母親が徹底的に外界を遮断していた」「ホームスクーリングだった」「医者を頻繁に変えていた」で押し切っている感じで、リアリティラインはかなりギリギリ。というか、ギリアウトである。
薬・毒問題:複数の医者が本当に誰も気づかないのか
次に、毒問題だ。ポイズン(言いたいことも言えないこんな世の中じゃ)。
ダイアンはクロエに身体へ影響の出る薬を飲ませていた。処方箋の薬と混ぜていたのかもしれないし、描写はないが食事にも混ぜていたのかもしれない。そうして複数の病状を発生させ、医者に診せていた。率直に思ったのは「んー、診察したら普通わからんの?」。本来、かなり怪しいはずだ。
現実なら、
- 血液検査
- 神経検査
- 薬剤履歴
- 複数医療機関での照合
などをやれば、不自然な症状や薬物反応はかなり疑われやすい。だから映画では、
- 母親が診察に常に付き添う
- クロエを孤立させる
- 医者を転々とする
- 障がいを既成事実化する
などで、ギリギリ成立させている(ギリギリアウトとも言える)。
それでも、クロエの主治医は2年間で12回も変わっている描写がある。「戸籍問題をなんとかかわす」が裏目に出た形で、「12回も医者変わって誰も気づかんの?」はサスペンスを優先した脚本だと思う。特に現代アメリカ医療なら電子カルテや処方履歴の共有もあるので、完全に隠し通すのはかなり難しいだろう。
逆に言うと、この映画はリアル犯罪ドラマというより、「毒親支配の恐怖を寓話的に極端化したスリラー」として観ると納得しやすい作品ではある。
郵便配達員殺害:その後どう隠蔽するつもりだったのか
作中でクロエは郵便配達員に助けを求めるが、ダイアンはそれを発見し、配達員を殺してしまう。後のことはどうするのだろう? とてもじゃないが隠し通せるものではない。
ここもかなり「勢いで押し切っている」部分だ。配達員が突然失踪すれば、
- 配達ルート記録
- 最終訪問先
- 車両GPS
- 通信履歴
- 配達未完了
などで普通は捜査対象になる。しかも田舎町ほど「どこに行ったか」が把握されやすい。クロエとダイアンの住む家は周りに何もない林の中の一軒家だ。あの事件を完全に隠蔽するのはかなり難しいだろう。
ただ映画としては、
「母親は娘を守るためなら一線を越える」
という恐怖のエスカレートを見せる役割の方が大きい。まぁ"娘を守る"というよりは"バレるのを恐れた"わけだが。
さらには、ダイアンが警察を呼ぼうとするシーンがある。山奥すぎて電波が届かないというオチなのだが、「ほら、繋がらないだろう?」と自信を見せる配達員——よく考えると、仮に警察が到着したらクロエが真実を話すだろうから、むしろ繋がらなくて助かったのはダイアンの方である。緊張の一瞬というより、ダイアンにとってラッキーなシーンになってしまっているのが少し惜しい。
ただそのシーンは、「あの子は薬が合わなくて妄想しているのよ!」と言うダイアン演じるサラ・ポールソンの演技が白熱しすぎて、「本当にクロエは耄碌していて、実はもう一段の反転劇があるのでは?」と勘ぐってしまったほどだ。それくらい鬼気迫る演技だった。
さて、配達員を手にかけることで、ダイアンは単なる過保護な親から"本当に危険な存在"へと変貌する。脚本的には、
薬を盛る
↓
外界を遮断する
↓
暴力に出る
↓
殺人まで行く
という段階を踏ませるためのイベントだろう。もう隠し立てできないところまで来てしまったという圧迫感を、しっかり植え付けられた。
他にも突き詰めればいくらでも出てくる。救命病棟にいるのに装置が外れてもアラームが鳴らないとか、誘拐事件の切り抜きを大事に保存してあるとか、しかもそれをクロエの写真と一緒に保存しているとか、その箱をこれみよがしに置いてあるとか九日十日。ご都合主義は散在しており、リアリティに欠ける部分はある。
しかしこれは映画で、「細部リアル系スリラー」ではなく、「毒親ホラーを一点突破で走り切る映画」なのだ。矛盾点や「無理あるやろ」という部分をフィクションとして割り切れるかどうかが、この映画の分水嶺である。
細かい所が気になり出したらキリがない。しかしまぁ私は、気になりはしたが、一つ一つのシーンや話の立て方は面白く、娯楽として充分に楽しめた。
『RUN/ラン』結末・ラスト考察|あのラストシーンが意味するもの
さあ、映画『RUN/ラン』の最後の最後、ラストでも気になるところ満載なのがこの映画である。エンドロール直前、クロエがどこか刑務所の精神病棟のような施設へ行き、横たわるダイアンと面会する。クロエは近況を語りかけるが、ダイアンはなんだか怯えた表情をしていて一言もしゃべらない。そしてある程度話してから(といってもクロエが一方的に語りかけていただけだが)、「お薬の時間よ」と言って隠し持っていた薬をダイアンに飲ませようとする。中身は絶対に毒だ。薬なんかではない。あの行為は復讐なのか? それとも、クロエ自身も歪んだ愛情を受け継いでしまったのか?
あの結末は、かなり意図的に"どちらとも取れる"ように作られている。だから人によって解釈が分かれるだろう。
ただ、私が個人的に感じたのは単純な復讐だけではなく、
「クロエ自身も、ダイアンとの異常な共依存から完全には逃げ切れていない」
という終わり方だと見る方が自然だ、という結論である。
ポイントは、クロエがただ怒鳴ったり暴力を振るうのではなく、"母親が自分にしてきた行為そのもの"をなぞるように薬を差し出すところにある。つまり、
- 世話をする
- 薬を与える
- 相手を支配する
- 「あなたのため」という形を取る
という、ダイアンの愛情表現をクロエ自身が継承してしまっているのだ。
しかもクロエは、あの場面でかなり穏やかに接する。
そこが怖い。
もし完全な復讐なら、
- 憎悪をぶつける
- ダイアンを拒絶する
- 二度と会わない
という方向にもできたはずである。でも彼女は会いに行く。しかも"母がしてきた方法"で関係を続ける。だからあのラストは、
「支配から逃げた娘が、支配する側を少し受け継いでしまった」
という後味の悪さがある。
もちろん復讐解釈も当然成立する。ダイアンは長年クロエを薬で苦しめたわけなので、「今度はあなたが味わう番」という皮肉として見ることもできる。
つまりあの結末は、
- 復讐
- 支配の継承
- 歪んだ愛情
- 共依存の残骸
が全部混ざっている終わり方で、そこがこの映画の一番不気味な部分だと思う。どう捉えるかは、視聴した人がそれぞれに感じれば良いだろう。
私は捻じれた愛情だと感じた。誘拐され、支配され続けてきたとしても、実際にクロエを成人手前まで育てたのはダイアンである。それまでは完全に母親だと思っていたわけで、それまでは病気の自分を支えてくれたことへの感謝もあっただろう。それが実はこうでしたと真実を知らされても、いきなり憎み切る方向に舵を取れない部分はあるのかもしれない。だがしかし、許せるわけでもない。それが——自分がされてきた同じことをする——という行動に変えさせた。そう解釈した方が、より怖い。だから私は、『RUN/ラン』のラストは歪んだ愛情の継承だと結論づける。
映画『RUN/ラン』はこんな人におすすめ
ざっくりまとめると、こういう人に刺さる映画だと思う。
- 毒親・支配的な親子関係をテーマにした映画が好きな人
- 序盤はじわじわ、後半は一気に加速するタイプのサスペンスが好きな人
- グロ・スプラッター・胸糞映画は苦手だが、心理的な怖さは楽しめる人
- サラ・ポールソンの演技を見たい人(これは本当におすすめ)
- ラストの考察を誰かと語り合いたい人
逆に、細部のリアリティが気になって没入できないタイプの人には少しストレスがかかるかもしれない。「フィクションはフィクション」と割り切れるかどうかが、この映画を楽しめるかどうかの分岐点だ。
映画『RUN/ラン』総評|走れない少女が逃げる、それだけで充分に怖い
傑作か、と聞かれたら傑作ではない。ご都合主義は散在しているし、「そこは流石に無理があるやろ」という箇所もある。現実的なリアリティという意味では、かなり甘い映画だ。
でも、それを差し引いても楽しめた。
前半の静かな不穏さ、後半の怒涛の展開、そしてあの後味の悪いラスト。一本の映画として、ちゃんと引っ張る力がある。特にサラ・ポールソンの演技は本物で、「この人、本当に危ないんじゃないか」と思わせる瞬間が何度もあった。
タイトルの『RUN/ラン』に込められた皮肉——走れないのに逃げる——は、観終わった後にじわじわ効いてくる。そしてラストシーンの解釈を誰かと話したくなる、そういう映画だ。
細かいことが気になる人も、まず観てみてほしい。「無理あるな」と思いながらも、気づいたらエンドロールを迎えているはずだから。
映画『RUN/ラン(2020年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)
- 監督: アニーシュ・チャガンティ
- 出演:キーラ・アレン, サラ・ポールソン, パット・ヒーリー, サラ・ソーン
- 公開年:2020年
- 上映時間:89分
- ジャンル:サスペンス, ミステリー
