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映画『霧のごとく(大濛)』感想|白色テロ時代を生きた市井の人々を描く台湾映画の傑作【金馬奨4冠】

『霧のごとく(大濛)』は、2025年公開の台湾の歴史ドラマ映画。監督・脚本はチェン・ユーシュン。白色テロ時代の台湾を舞台に、過酷な時代を生きる人々の出会いと再生を描いた作品である。第62回金馬奨では作品賞を含む4部門を受賞した。
1950年代の台湾。反政府分子として処刑された兄の遺体を引き取るため、少女・阿月は一人で台北へ向かう。しかし高額な手数料を前に途方に暮れ、危険な目にも遭遇する。そんな彼女を救ったのは、人力車の車夫・趙公道だった。
阿月をケイトリン・ファン、趙公道をウィル・オーが演じる。共演は9m88、ツェン・ジンホア、リウ・グァンティン、チェン・イーウェン、ビビアン・ソンほか。

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台湾映画『霧のごとく(大濛)』水滴の旅と記憶


台湾映画『霧のごとく』(邦題:大濛)は、歴史映画でありながら英雄や革命家ではなく、時代に翻弄された名もなき市井の人々を静かに見つめた作品だ。

舞台は戒厳令下の台湾。白色テロと呼ばれた政治弾圧の時代に、処刑された兄の遺体を引き取るために台北へ向かう少女・阿月と、人力車夫として生きる趙公道の出会いを軸に物語は展開する。阿月を演じるのはケイトリン・ファン、公道役はウィル・オー。さらに台湾インディー音楽シーンで人気を誇るシンガーソングライター・9m88も出演しており、音楽ファンにとっても見逃せない一作となっている。

歴史映画と聞けば、大きな事件や政治的対立を描くイメージを持つ人も多いだろう。しかし『霧のごとく』が映し出すのは、激動の歴史の裏側で懸命に生きた人々の息遣いだ。濃い霧の中をただ前へ進むような、不安と希望が入り混じる物語は静かに、しかし確かに胸に迫ってくる。

白色テロ時代の台湾映画として観始めたこの作品が、気づけば過去の話ではなく、現代の台湾が抱えるリアルとして映っていた。歴史を描きながら、現在を問いかける——そんな一本だ。

本稿ではレビュー形式ではあるが、どちらかと言えば物語で気になった点を紹介、解説、考察していこうと思う。

※本レビューはネタバレを含みます!

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白色テロとは?『霧のごとく』の時代背景と「大濛」の意味を知る

白色テロとは?
白色テロとは、1949年から1987年まで続いた台湾の戒厳令時代に行われた政治的弾圧のこと。中国国民党(KMT)政権のもとで、政府に批判的とみなされた人々や共産主義者と疑われた人々が逮捕・投獄され、多くが処刑された。台湾現代史における重要な出来事の一つであり、多くの映画やドラマで描かれている。
おなじく白色テロ時代を描いた台湾の秀逸映画はコチラ
 

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台湾映画『霧のごとく(大濛)』というタイトルは、先の見えない時代を生きる人々の姿を象徴している。「濛」という漢字は、濃い霧が立ちこめる様子や、景色がぼんやりかすむ状態を意味する。原題『大濛』は台湾語の「罩雺(tà-bông)」に由来するとされ、作中に繰り返し登場する雲や霧のイメージとも重なっている。

本作は白色テロ時代を描いた作品だが、先が見えないのは現代の台湾も同じではないか——そんなことを感じながらずっと観ていた。中国との緊張関係、軍事演習、「一つの中国」という圧力。意識したのかどうかはわからないが、この映画の不安定な空気は、2025年以降の現状と妙に重なって見えた。

ただ、これはあくまで私の解釈だ。『霧のごとく(大濛)』はあくまで白色テロ時代を舞台にしたフィクションであり、現在の中台情勢を直接描いた作品ではない。

白色テロについての予備知識がなくても、作中の雰囲気でなんとなく察することはできる。ただ、高校世界史レベルの知識があれば、物語の背景をより深く理解できるのは確かだ。

また本作の特徴として、戒厳令時代の恐怖や惨状を前面に出すというよりも、その時代を懸命に生きた一般市民の暮らしに焦点を当てたヒューマンドラマ寄りの作品である点は押さえておきたい。

白色テロの実態をより直接的に知りたいなら、同じく白色テロを題材にした『返校 言葉が消えた日』を先に観ることをすすめる。ホラーゲームが原作で、当時の体制の恐ろしさが非常にわかりやすく描かれている。

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『霧のごとく(大濛)』は実話?フィクションとリアルの境界線

本作を観ると、実話なのかどうか気になる人も多いと思う。リアリティが高く、ストーリーの後半では2004年まで描かれ、登場人物の歩みがまるで実際の記録のように映る。

結論から言うと、実話ではない。ただし、台湾で実際に起きた「白色テロ」の歴史を背景にしたフィクション作品だ。

監督のチェン・ユーシュン自身が、

白色テロ時代の記事や証言を数多く読み、実際の被害者家族の話に強く心を動かされた

参考:講述白色恐怖受難者家屬故事 陳玉勳新片《大濛》殺青-新聞-Rti 中央廣播電臺

と語っているとおり、実際の証言や記録に徹底して向き合った結果が、あのリアリティに繋がっている。人物や物語は創作だが、多くの被害者・遺族が存在した歴史的事実に根ざした作品であることは間違いない。

 

泥棒がなぜ「サヨナラ」と日本語で?台湾映画なのに日本語が出てくる理由

海外映画を字幕で観ていると、ふと日本語が聞こえてくることがある。例えば『ジョン・ウィック:コンセクエンス』は舞台が大阪ということもあって日本語シーンが多い。また舞台がアメリカでもロシアンマフィアがロシア語を話したり、フランス人シェフがフランス語を話したりするのは自然なことだ。ただ、「なぜここで日本語?」と首をかしげる場面もある。ロバート・デ・ニーロ主演の『マイ・インターン』では、唐突にデ・ニーロが「サヨナラ」と発音するシーンがある。

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台湾映画『霧のごとく(大濛)』でも、ポッと出の泥棒が「サヨナラ」と日本語を口にする。映画の舞台は台湾で、話者も台湾人。「なぜここで日本語?」と思った人は少なくないはずだ。

本作に登場するのはほぼ台湾人だが、正確には中国人も登場し、言語の微妙な違いが小ネタとして描かれる場面もある。基本的に使われるのは台湾華語(台湾で話される中国語)だ。

ただし、本作の舞台は1950年代の台湾。台湾はかつて1895年から1945年まで日本に統治されており、作中の時代はその統治が終わってからまだ数年しか経っていない。当時は日本語教育を受けた台湾人が多く、特に大人世代には日本語を流暢に話せる人も珍しくなかった。

つまり泥棒が「さよなら」と言ったのは、以下のような背景が考えられる。

  • 日本統治時代の名残として日本語を話していた
  • 当時の台湾社会に残る日本文化を示す演出
  • キャラクターの世代や背景を匂わせるためのセリフ

『霧のごとく(大濛)』は白色テロだけでなく、日本統治終了からまだ間もない台湾を描いた作品でもある。だから日本語が出てくること自体は不自然ではなく、むしろ当時のリアリティを丁寧に再現した演出と見るべきだろう。

 

公道はなぜ阿月にそこまで親身になるのか?趙公道という人物を考察する

台湾映画『霧のごとく(大濛)』でひときわ目立つのは、主役の阿月を演じるケイトリン・ファンではなく、ウィル・オー演じる趙公道だ。中国から台湾にやって来た人力車夫である。

台北で阿月と出会った公道は、何かと彼女の世話を焼く。人さらいに捕まった阿月を助け、姉探しに付き合い、極楽殯儀館(ごくらくひんぎかん)から兄を引き取る費用まで工面する。

親戚でもなんでもない赤の他人に、なぜそこまで親身になるのか。その理由は作中で明確に説明されない。だから完全に個人的な解釈になるが、私は主に3つの理由があると考える。

  • ① 自分と同じ「居場所のない人間」だから
    公道はその日暮らしに近い人力車夫。阿月もまた兄を失い、頼れる大人もいない孤独な少女だ。公道は阿月に、自分と同じ匂いを感じたのかもしれない。
  • ② 放っておけない性格だから
    粗野な部分はあるが、根は情に厚い人物として描かれている。損得で動くなら途中で関わるのをやめてもよい場面が何度もある。それでも手を貸し続けるのは、単純に見捨てられない性格だからだろう。
  • ③ 白色テロ時代への対比として
    国家や権力によって人間同士の信頼が壊されていく時代の中で、公道は数少ない「他人を助ける人間」として配置されているようにも見える。

だから物語上、公道は単なる案内役ではなく、

恐怖と疑心暗鬼が支配する社会の中でも、人と人とのつながりは残っている

という、霧(濛)を晴らす存在としての希望の象徴として機能しているように私は感じた。

とは言いつつも、さすがに理解しがたい場面もある。

公道の行動で最も腑に落ちなかったのは、阿月に大金を渡す場面だ。人を殺す対価として手にした、四人家族が一年間生活できるほどの金額を渡すというのは、善意だけで説明するには大きすぎる。食事を奢るとか、一晩泊めるとかなら「放っておけなかった」で済む。しかしあの金額は、単なる親切では説明がつかない。

だから私は、公道は阿月に強く感情移入していたと考える方が自然だと思った。

公道は社会の底辺に近い立場で生きており、阿月もまた兄を失い歴史の大きな流れに翻弄されている。公道にとって阿月は、ただの見知らぬ少女ではなく、

「自分が助けなければ誰も助けない人」

に見えていたのではないか。

また別の見方をすると、公道自身も何かを失った人間として描かれているように見える。そうだとすれば、阿月を助ける行為は、

阿月を救うこと=自分自身の救済

という側面もあったのかもしれない。

映画は公道の過去を細かく語らないので断定はできない。しかしあの金額を渡す場面を見る限り、「ちょっと優しい人だった」ではなく、「阿月の人生に深く責任を感じるほど特別な感情を抱いていた」と解釈した方がしっくりくる。

ただしこの映画は、人物の心理を明確に説明するタイプではない。「なぜそこまでしたのか」は意図的に観客へ委ねられている部分でもある。これらはあくまで私の解釈なので、「それは違う」と感じたならそれで構わない。

 

こんな人におすすめ!

  • 台湾映画・台湾の歴史に興味がある人
  • 派手な展開より、静かに心に残るヒューマンドラマが好きな人
  • 『1秒先の彼女』などチェン・ユーシュン監督作品が好きな人
  • 歴史の重さより、その時代を生きた人々のドラマを見たい人
  • 泣ける映画を探している人

 


まとめ:霧の中で出会った二人が、老いてなお残したもの

『霧のごとく(大濛)』は、第62回金馬奨(台湾で開催される映画賞で、華語圏では最も権威がある映画賞の一つ)で最優秀作品賞・最優秀脚本賞・最優秀美術賞・最優秀衣装デザイン賞の4部門を受賞した作品だ。台湾での興行収入も大きな記録を打ち立てた。それだけの評価を受けた理由は、観れば納得できる。

私がこの映画で最も印象に残っているのは、3つのシーンだ。

まず、言わずもがな阿月の兄が語った「雲になりたい2滴の水粒」の話。死を前にした人間が語る言葉とは思えないほど穏やかで、自分がいなくなっても役目を終えて霧になるだけだという、その静けさに胸をつかまれた。兄の不在を抱えたまま台北へ向かう阿月の姿と重なって、ずっと頭から離れなかった。

次に、死んだ兄と向き合う場面で、阿月が年号を数えるシーン。台詞で「悲しい」と言わせるのではなく、ただ年号を数えるだけ。それだけでこちらの胸が締め付けられるのだから、脚本の力だと思う。

そして何より、ラストシーンだ。老婆と老人になった阿月と公道が偶然再会する。公道は阿月に腕時計を渡し、何も言わずに去っていく。あの場面で不覚にも涙が出た。長い年月を経ても、あの時代の記憶がふたりの中に生きていることが、腕時計という小道具一つで伝わってくる。説明しない分、余韻が深い。

「霧のごとく」というタイトルの意味が、観終わってからじわじわと染みてくる映画だ。白色テロ時代の話でありながら、人と人とのつながりを丁寧に描いたヒューマンドラマとして、多くの人に届いて欲しい願うと思う一本だった。

 

「水滴の話」が伝えること——雲になれなかった人たちへ

まとめまで書き上げて終わったつもりだったのに、やっぱりあの話に触れずにはいられなかった。阿月の兄が語る「水滴の話」だ。

『霧のごとく(大濛)』の序盤では、水滴は空へ昇り、雲となり、やがて雨になって大地を潤すという希望に満ちた話として語られる。しかし終盤になると、その話は少し違った形で語り直される。

兄が残した言葉の中では、水滴は必ずしも雲になれない。途中で霧となり、風に流され、そのまま消えてしまうものもいる。

この話は、白色テロによって命を奪われた兄自身の姿と重なっているように感じた。兄には理想があった。未来への希望もあった。しかしその人生は志半ばで断ち切られ、歴史の教科書に名を残すことも、多くの人に知られることもなかった。まるで雲になれず、霧のまま消えていった水滴のように。

だが、この映画はそこで終わらない。

霧は消えてしまう存在である一方で、人々の目には確かに映る。誰かの記憶の中には残る。たとえ大きな成果を残せなかったとしても、その人生が無意味になるわけではない。

この水滴の話を聞きながら、私は公道のことも思い浮かべた。公道は英雄ではない。社会の片隅で生きる人力車夫であり、歴史に名を刻むような人物でもない。それでも彼は阿月の人生を支え、忘れられない存在になった。

『大濛』というタイトルの「濛」には、濃い霧や霞という意味がある。観終わった今になって思うのは、このタイトルは単に作品の雰囲気を表しているだけではなく、歴史の中で名前も残らず消えていった無数の人々そのものを指しているのではないかということだ。

雲になれなかった水滴たち。

その存在にも意味があったのだと、本作は静かに語りかけていた。

 

映画『霧のごとく(2025年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)

  • 監督:チェン・ユーシュン
  • 出演:ケイトリン・ファン, ウィル・オー, 9m88
  • 公開年:2025年
  • 上映時間:134分
  • ジャンル:ヒューマンドラマ

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