レオナルド・ディカプリオ演じる主人公と、その家族や周囲の人物たちが織りなす人間模様を描く。
共演はショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ、レジーナ・ホール、テヤナ・テイラー、チェイス・インフィニティら。
⚒️現存するアメリカの闇。戦いは終わらない社会派映画
映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』感想レビュー
舞台はカリフォルニアの聖域都市。かつて革命グループで名を馳せた男パットは、今や名前を捨て、冴えない中年男ボブ(レオナルド・ディカプリオ)として生きている。娘のウィラ(チェイス・インフィニティ)とともに、人目を避けるような薄汚れた日常を送る日々である。
過去の栄光をドラッグで塗りつぶし、政府の監視を恐れるあまり、娘を社会から隔離してきたボブ。ウィラはそんな父に呆れつつも、センセイ(ベニシオ・デル・トロ)のもとで護身の術を学んでいた。
しかし、かつての宿敵である軍人ロックジョー(ショーン・ペン)の出現によって、その隠遁生活は唐突に終わりを迎える。忘れ去られたはずの革命の亡霊が街に火を放ち、ボブは娘を守るため、望まぬまま再び終わりのない戦いへと巻き込まれていく。
レオナルド・ディカプリオである。
正直に言えば、私が彼の出演作をきちんと観たのは『タイタニック』『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』『ブラッド・ダイヤモンド』程度であり、体感としてはかなり久しぶりのディカプリオだ。年齢を重ねた印象は強いが、その分、疲労と哀愁をまとった存在感は健在である。イケメンなのは変わりない。
っていうか『タイタニック』って1997年なんだな。それなのにあのスケール?凄くね?
タイタニックの話じゃなかった。本作『ワン・バトル・アフター・アナザー』。
アメリカ本国では「2025年ベスト映画」の呼び声も高く、2026年3月開催予定の第98回アカデミー賞では、作品賞・主演男優賞の最有力候補とも報じられている話題作である。そう聞けば、観ないという選択肢はなかった(最新の情報で日本アカデミー賞優秀外国作品賞受賞/2025/01/19)。
んだらば視聴しないわけにはあるまいて。期待に胸躍らせながら再生ボタンを押した。
……しかし、観終えた正直な感想は、どうにも釈然としない、である。
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『ワン・バトル・アフター・アナザー』あらすじ
逃亡の果てに、戦火に包まれる街。娘を守るために再び銃を手にした父が突きつけられたのは、記憶の底に沈んだはずの「革命の合言葉」であった。守るための嘘と、捨てきれない過去が交錯する中で、親子は連鎖する戦いへと引きずり込まれていく。
160分の長尺と、ディカプリオの滑稽な焦燥
映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』を観終えて、まず私が感じたのは、事前に想像していた肌触りとのズレである。怒涛のアクションが押し寄せるエンタメ大作を想定していたが、案外地味だった。地味とは言っても「想像よりは」ということなのだが。実際に画面から伝わってくるのは、派手さよりも地味で持続的な緊張感だった。
ストーリー自体は引きがあり、先を追わせる力は確かにある。ただし、その質感はあくまで抑制的で、「地味」という印象が最後まで拭えない。
「想像よりは」。
テンポ面を申し上げると、序盤の説明描写はやや冗長だ。最初の40分ほどは前置きが長く、情報整理に時間を割きすぎている印象を受けた。もう少しコンパクトにまとめられたのではないか、というのが正直な感想である。
ちょっとダレる。
後半に入っても、空気感を重視するあまりか、意図的な「間」が目立つ場面が多い。特にラスト直前のカーチェイスでは、路面や走行車を執拗に映し続けるカットが続き、緊張感よりも集中力の消耗を感じてしまった。
本作の上映時間は160分。冗長な部分を整理すれば、2時間程度に収めることも可能だったのではないかと思う。ただし、後半のシーン単位での緊張感は確かであり、「娘を探しながら逃亡する」という構造自体は、視聴者の関心を一定水準で引き留め続けている。
最終的にどう転ぶのか、続きが観たくはなる。
さて、注目された大作だからといって、本作を視聴するにあたっては、あらかじめ身構えすぎない方が良いかもしれない。重いテーマを扱ってはいるが、その底流には、意外なほど不条理なコメディ要素が混ざっている。
象徴的なのが、突発的な襲撃に遭い、完全に取り乱すディカプリオの姿だ。だらしなく、判断も遅く、パニックに陥るその様子は、緊張感の中に明確な「滑稽さ」を含んでいる。あれは偶然ではなく、明らかに狙った演出だろう。
同胞と連絡を取る際の「逆ギレ」シーンも同様である。客観的に見れば可笑しみのある場面だが、私はボブの焦燥に感情移入しすぎてしまい、鑑賞中はコメディ要素として観る余裕がなかった。
後になってから全体を見渡すと、「あ、あのシーンはそのテンションで観るところではなかったな」そう気付く事も多い。
視聴し終えて全体を振り返って初めて、あの場面は一歩引いて眺めるべきだったのだと気付かされる。決して軽い映画ではないが、雰囲気に呑み込まれすぎず、少し距離を置いて俯瞰する。その姿勢が、この作品を受け止める上では必要なのかもしれない。
シリアスと滑稽さの境界が曖昧なまま進む――その居心地の悪さも含めて、本作は観る側のスタンスを問う映画である。
「役に立たないディカプリオ」という贅沢で意地の悪い演出
映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』の見どころを挙げるとすれば、そこは少し意外な位置にある。本作はアクション映画とされているが、目を見張るような派手な立ち回りはほとんどない。前述の通り、全体の印象は地味寄りだ。
迫り来る敵に華麗に立ち向かうこともなく、主人公ボブを演じるディカプリオは、終始オロオロと逃げ惑っている。しかし皮肉なことに、そこにこそ本作の一番の面白さがある。
この映画におけるディカプリオの役割は、物語を能動的に動かすことではない。むしろ意図的に、「判断を誤る」「行動が遅い」「何ひとつ解決しない」存在として配置されている。かつては英雄だったが、今となっては有効な選択肢を持たない──彼はそんな「過去の世代」の象徴として描かれている。
そう考えると、この「ディカプリオの役に立たなさ」こそが、本作最大の見どころだと言っていい。
通常、ディカプリオ主演作において、視聴者は次のような振る舞いを期待する。
- 自ら決断を下す
- 停滞した状況を打破する
- 散らばった物語を収束させる
しかし本作は、それらの期待を最初から拒否する。ボブは娘を守りきれず、状況を制御することもできず、過去の経験は何の武器にもならない。その姿は、ときに「そこにいるだけ」「足を引っ張っているだけ」にすら見える。
だが、これは演出の失敗ではない。むしろ、極めて計算された配置である。
逃げ惑うだけの役なら、無名俳優でも成立したはずだ。しかし、それでは意味がない。誰もが知る大スターであり、過去作で「闘い抜いてきた男」のイメージを背負ったディカプリオだからこそ、「ここまで何もできないのか」という無力感が強烈に際立つ。
本作は、ディカプリオのスター性そのものを、メタ的な装置として消費している。実にズルく、そして意地の悪い(もちろん褒め言葉である)演出だ。
その結果、観終えたあとに残る感覚はこうだ。
- 圧倒的な名演技を観た気がしない
- 主人公に物語を引っ張ってもらえなかった
- カタルシスが少ない
主人公が役に立たないこと自体をテーマに据えるという、かなり倒錯的な構造。正直に言えば、ディカプリオはこの映画の中で何の役にも立っていない。
だが、それこそが正解なのだ。「頼れる主人公が何とかしてくれる」という映画的安心感を、最初から最後まで一切与えない。その満たされなさ、その居心地の悪さこそが、本作の後味であり、本質なのである。
終わらない「one battle after another」という名の諦観
『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、筋立て(ストーリー)自体が複雑な映画ではない。ただし、その温度や手触りを正確に掴もうとすると、背景にある時代の影が無視できなくなる。本作は、1960〜70年代のアメリカを揺るがした”ラディカル運動”の「その後」を、現代の権力構造や親子関係へと静かに接続しているからである。
1960年代後半から70年代にかけて、既存の体制や価値観を根底から変革しようとした急進的な社会運動。ベトナム戦争反対や公民権運動と結びつき、一部は過激な武装闘争へと発展した。本作は、その運動が理想を失い、「終わらない闘争の連鎖」へと変質していく姿を下敷きにしている。
とはいえ、これらの知識がなければ楽しめない映画、というわけではない。「親子の逃避行」「追う者と追われる者の緊張感」、そしてタイトルが示す消耗の感覚を追うだけでも、一本の映画としては成立している。私自身、歴史に詳しいわけではないが、鑑賞体験として不足を感じることはなかった。
それでも、「理解はできるが、腹落ちしない」と感じる視聴者は多いだろう。
私がそうだ。
本作が現代アメリカの諸問題――白人至上主義、差別、移民、保守とリベラルの分断――を説明も批評もせず、ただ配置しているに過ぎないからだ。映画は何も語らず、ただ状況だけを提示する。
主人公ボブは、娘の誕生をきっかけにレジスタンスから身を引き、自分の中では「戦いは終わった」存在である。しかし、彼がいなくなっても闘争は続き、誰かがそれを終わらせることもなかった。だからこそ「one battle after another(次から次へと続く闘い)」なのだ。消えたはずの火種は再び燃え上がり、否応なく彼と娘を巻き込んでいく。
本作が冷淡なのは、「正義が勝つ」とも「悪が蔓延る」とも断じない点にある。問題は解決されることなく棚上げされ、世代を越えて受け渡されていく。闘った者も、距離を取った者も、その「続き」を生きるしかない。ここに描かれているのは、理想でも怒りでもなく、極めて乾いた現状認識である。
そもそも、本作で語られているものを、単純に正義や悪として隔てることはできない。
「今後も戦いは続いていく」というメッセージは確かに存在する。ただしそれは、”立ち上がれ!”という鼓舞ではない。終わらせられなかったまま、次の順番が回ってくるという諦観に近い感触だ。本作はリベラルでも保守でもなく、分断が固定化した社会において、人々がどのように消耗していくかを、ただ事実として置いている。
言ってしまえば、本作は壮大な「投げっぱなし」である。観終わった後に明確な答えも救いも用意されていない。何かを掴めた者も、何も掴めなかった者も、どちらも誤りではない。映画は考えさせるというより、考える責任そのものを観客に委ねている。その突き放し方こそが、本作の評価点であり、同時にモヤモヤの正体でもある。
私は観た映画を記録の為に、そしてより深く理解する為にブログを書いている。文章を書いている途中で、「あ、アレってそういう意味だったんだ」も思い付くことも多い。
まさに『ワン・バトル・アフター・アナザー』という作品は、観た映画の理解を深める、考えるためにブログを書くという、そういう意味ではうってつけの映画だった。
こんな人にオススメ!
本作は万人向けのエンタメ映画ではない。爽快なカタルシスや、明快な答えを求める人には、正直あまり向いていないだろう。だが、以下に当てはまる人であれば、本作の居心地の悪さそのものを楽しめるはずだ。
- 社会派映画や、結論を提示しない作品に耐性がある人
- 主人公が「何も解決しない」物語に価値を見出せる人
- 観終わった後にモヤモヤを抱えたまま考え続けるのが嫌いではない人
逆に言えば、「分かりやすい正義」「活躍する主人公」「納得のいくラスト」を求める場合、本作はかなり相性が悪い。
観たあとに残るのは、答えではなく違和感
映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』は、何かを解決しようとする映画ではない。問題を提示し、闘いが終わらない現実を示し、それから後のコトは視聴者に委ねる。
ディカプリオ演じるボブが最後まで「役に立たない」まま終わるのも、その一部だ。誰かが状況を好転させてくれるという期待そのものが、最初から切り捨てられている。
理解できたかどうか、腑に落ちたかどうかは重要ではない。観て、引っかかって、何となく気持ちが悪い。その感覚を抱えたまま日常に戻される。そこまで含めて、この映画である。
視聴し終わった直後に評価を下せなくても構わない。時間が経ってから、ふと一場面を思い出す。そんな残り方をする映画だ。
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映画『ワン・バトル・アフター・アナザー』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)
- 監督:Paul Thomas Anderson
- 出演:Leonardo DiCaprio, Sean Penn, Benicio del Toro, Regina Hall, Teyana Taylor, Chase Infiniti
- 公開年:2025年
- 上映時間:161分
- ジャンル:アクション, 社会派, サスペンス
