のんびり映画帳

映画レビューブログ「のんびり映画帳」。B級映画、配信作品、名作から地雷まで本音レビュー。感想だけでなく、独自の意見や考察を交えます。できるだけネタバレは控えています。

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映画『366日』感想レビュー|湊と美海の選択に納得できなかった理由

映画『366日』は、2025年公開の日本映画で、上京した男女の恋と長年のすれ違いを描いた恋愛ドラマである。
監督は新城毅彦、主演は赤楚衛二と上白石萌歌が務める。
時間の経過と選択が人生に与える影響を主題とした作品。

🙃無責任が自己感傷に浸る物語

映画『366日』感想レビュー

映画『366日』は、上京した男女の恋と悲劇のすれ違いを描きながら、「一年よりも一日長い時間」が象徴するように、かけがえのない瞬間を積み上げていく物語である。置いてきた日々と向き合い、今後の人生をどう生きるかという問いを投げかけ、視聴者に「もしあの時…」という記憶を呼び起こさせる作品である。

とはいうものの、本作を視聴した私の感想は高評価とは程遠い。Amazonレビューでは★4.3(視聴時点)という好意的な評価が目立つが、私はこれから酷評を述べる。う~ん……。いや、書きますよ?視聴したからにはレビューは書きますけれども。

酷評はするが、しかしだからと言ってこれは本作を気に入った人を否定する意図ではなく、単純に、私には合わなかったというだけである。人には合う合わないがあるから、それは汲み取っていただきたい。だからもう一度、申し上げておく。私はこれから、この作品を酷評する。だからこの映画を酷く言われることを嫌う人には、ブラウザバックを推奨する。

※本レビューはネタバレを含みます。

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『366日』あらすじ

高校時代から想いを寄せながらもすれ違った男女の運命が、時を経て再び動き出す。互いに未練を抱えつつも、それぞれに異なる道を歩んでいく。度重なるすれ違いや想い、それらに大きく揺さぶられることになる。人生という時間の中で、愛する人とどう向き合い、どんな言葉を残すのか。366日という象徴的な時間軸の中で、切なさと温もりが交錯する物語が描かれていく。

映画『366日』レビュー:見どころと違和感

学生時代の序盤や、大人となった中盤以降も時折映し出される沖縄の海は美しい(撮影は沖縄だよね?)。

映像としての雰囲気は良く、中盤までは十分に観ていられるが、しかし後半からは正直この内容で123分は長く感じる。ありきたりな純愛の、泣ける王道お涙頂戴ストーリー。しかもそれが見え見えの透け透け演出で萎えてくるし、展開も予想通りに進むため、新鮮味がなく途中から飽きが生じる。

また仕方のないことだが、高校一年生から30代前半までを同じ俳優が演じる設定は無理がある。ストーリーがその流れなので構成の制約上、どうしようもない面もあるが、どうにかならんかったものか。視聴者に「そういう設定ですから」と納得を強要しているように感じられた。小説や漫画が原作というわけではないだけに、もう少し工夫できたのではないかと思う。

ご都合主義な展開、自分本位なキャラクターの行動には違和感があり、かなり観ていて辛い部分が多々あった。人としてどうなのか、と感じさせるキャラクターが多い点も不快であったのは否めない。ただし、逆に言えば「純愛の美しさ」「予定調和の安心感」「お涙頂戴の感動」を求める人には、ぐっと心に響く作品になるのかもしれない。

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映画『366日』ネタバレあり感想レビュー(酷評)

繰り返しになるが、ストーリーの中盤から萎えてくる。もはや脚本は崩壊していると言ってもいい。違和感が積み重なって、最後まで集中できなかった。以下、順序立てて酷評を述べる。

湊が美海を一方的に振る展開

まず主演の一人である湊(赤楚衛二)が、ある日突然に恋人の美海(上白石萌歌)に別れを告げる。美海が理由を聞いても口を閉ざしたまま、そして二人は別れてしまう。実は湊は大病を患っていて、「愛しているから美海に負担を掛けたくなかった」とか「美海の通訳になるという夢を追いかけてほしかった」とか後に別れたワケを述べるのだが、さすがに自分勝手すぎやしないだろうか。二人は高校生からの付き合いで、美海は湊を追いかけて上京し、数年間同棲までしている。美海に対して病気のことを話さないのは不義理以外のなにものでもない。作中ではなんだか美談みたいな描き方をしているが、とんでもない。最大の裏切りである。美海のためを思ってとか言いながら、「オレだけが悪者になればいいんだ」のナルシスト的発想で到底共感できない。

大事な時期に妊娠するという大人としての責任感のなさ

美海は美海で、湊と別れた直後、彼の子を身ごもっていることが発覚してしまう。これに関しても、湊に一家言申し上げたい。美海は大学生の身であり、就職活動中である。そのような状況で、子どもが出来るようなことを致しているのだ。いや、何も私は、営むなと言っているわけではない。むしろ二人とも成人した大人なのだから、無いほうがおかしい。しかしそれならそれで、そして大人だからこそ、そういう意味で美海を大事にすべきではないのか?もし出来ちゃったら、とか考えなかったのだろうか?美海も美海である。なに受け入れちゃってんの?自分の仕事も決まってないのに。もしかして狙ってたの?出来たら結婚できるかもって。サイッテイだな!(この時点では全て私の思い込みです)。

美海の母親としての自覚のなさ

別れて妊娠が発覚したあと、美海は一度だけ「忘れ物がある」と言って湊と会う口実を作る。そこで美海はお腹の子どものことを湊に話そうか迷うのだが、結局は黙っておく。いやなんでやねん!湊に責任とらせろや!命を授かった時点でもうその命は美海のものじゃないの!新しい別の命なの!あなた一人の問題じゃないの!美海一人で決めて良い問題じゃないの!自分を捨てた相手に何を遠慮しちゃってんの?

子どものこと第一に考えろや!!!

しかしこれで「ワンチャン結婚狙ってた」線はなくなった。そこはまぁいいとして(良くはないが)。湊にそんな甲斐性ないと感じたんかなー。それはまぁ合ってる。この男にそんな甲斐性は、ない。

沖縄での展開

少し時は過ぎ、美海は沖縄に帰り、通訳の仕事をしながら子どもを育てるシングルマザーになる。そして湊が病気を患って三年後、あっさり治る。いや治るんかい!盛大に私はツッコミを入れてしまったが、湊は病院から退院する次の日にはさっそく美海に会いに沖縄に飛び立つ。いやあのね、「4年に一度の美海の誕生日に自分が作った曲を聴かせる」という約束があったのはわかるんだけど、何の相談もなく理由も話さず、自分勝手に美海を袖にしておいて、病気が治ったから「じゃあ会いに行くか!」って人としてどうなの???どの面下げて会いに行くの?相手にされると思うの?連絡すら取ってなかったんでしょ?MD渡すだけだったら郵送でいいよね?わざわざ沖縄行く必要ないでしょ?会うのが目的だったんでしょ?

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MDとは MiniDisc(ミニディスク) の略称で、ソニーが1992年に発売した音楽録音・再生用の光ディスクである。

  • サイズ:CDより小さい直径64mmのディスクを、カセットのようなハードケースに収めた形。

  • 方式:CDと同じ光学読み取りだが、圧縮方式(ATRAC)を使って容量を節約していた。

  • 容量:標準で約74分(後期は80分)の音楽を録音可能。

  • 特徴:録音・消去・編集が簡単にでき、耐久性もあり持ち運びしやすかった。

  • 用途:ポータブルプレーヤーやコンポで広く使われ、特に90年代後半から2000年代前半に人気を集めた。

ただし、後にiPodなどのHDD・フラッシュメモリ型プレーヤーが普及したことで衰退していき、2013年にソニーはMD関連機器の生産を終了した。

MD(MiniDisc)

『AIによるMD(MiniDisc)』
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で、実際に沖縄にいくと、美海は幼馴染の嘉陽田琉晴(中島裕翔)と結婚が決まっていて、湊はそれに落胆。当たり前やろ。そもそもいきなり訳もわからず振ったのは自分であり、一切の連絡もよこさず、それでも一途に好かれてると思ってたんかいな。脳内お花畑か。

そして琉晴が口を滑らせ、実は美海が妊娠していたことを知った湊はおめおめと逃げ帰る。いやそこはね、自分の子やろ。いくら美海の婚約者から頼まれたからって、そそくさと帰る?責任取らなって思うのが人として当然じゃないの?養育費払いたくなかったの?あ、でも自分の子でも、相手の女性が別の男性と結婚した場合はその限りではないわ。良かった(良くはない)。それでも、なんらかの形で責任は果たすべきだと私は思う。作中では「すれ違った運命」のように描かれていて不快であった。

娘・陽葵の登場と不自然な演出

さらに10年くらいあと。今度は美海が大病に罹る。まぁ主演の二人ともが病気になる作品も珍しい。湊と違って、美海はわりともうすぐ逝きそうだ。そこで琉晴は中学生になった娘・陽葵(稲垣来泉)に、頼み事をする。「東京に行ってこの人(湊)に美海のMDを届けて欲しい」。

そうして娘の陽葵は、実の父、湊と会うために東京へと一人旅立つ。え?一人?中学生が一人で沖縄から東京に行くの?心配じゃない?なんで今の父ちゃんの嘉陽田琉晴は付いてこんの?バッチリ沖縄に残っとるし。美海の看病があるにしても誰か大人が付いて行けよ。ホンマどいつもこいつも無責任やなー。で、なぜか東京に陽葵の幼馴染の男の子がいる。いや、お前も子どもやん……。なんで来たん?何のために来たん?何のための演出?もちろん特別な役割はなかった。あ、まぁ、一応、湊に会わずに帰ろうとする陽葵を引き止める役はするけど、別にそのシーン必要だったかなぁ?

クライマックスと結末の違和感

そうして、陽葵はついに湊と出会い、おもむろに渡すMD。そしておもむろにそれをデスクの上にあるプレーヤーに挿し込む湊。えっ、プレーヤーあんの?今時?中古ショップに行ってもラジカセより手に入らないんじゃないの?しかもポータブルだし。音楽関係の仕事してる職場だから???

MDの中身は、美海が残した湊へのメッセージ……。泣き崩れる湊。本来なら視聴者も涙するところなんだろうけど、今までの脚本と湊の所業が酷過ぎて、私はなんか呆れて観ていた。

「お母さんと会わなくていいの?もう会えないかもしれないよ?」そう陽葵は伝えるが、湊は「キミのお母さんが最期にいて欲しいのは、オレじゃないよ」みたいなことを言って一人で帰るように促す。え、それでいいの?実の娘だよ?もっとこう、抱きしめるとかなんとかないの?あっさりしてんな……。実の娘に対する態度としてはあまりに淡白だ。実際、会話は三往復くらいしかしない。なんかこう、他にもあるだろうよ……。それから、元恋人死んじゃうんだけど……。

美海の死を前に、陽葵の父親として、かつ美海の元恋人としてどう向き合うのかという肝心な部分が描かれず、視聴者として強い不満を覚えた。MDを巡るラストシーンも、感動を狙った演出に過ぎず、積み上げてきた物語の説得力を持たないまま終わってしまった。

夢の中へ

母のもとへ帰ってくる娘。ベッドの美海は眠っている。陽葵はその耳にMDのイヤホンをかける。切り替わるシーン。

浜辺で遊ぶ美海と幼い陽葵。そこに近付く湊。そしてすれ違う二人。

 

娘・陽葵の視点から見える違和感

ここで、娘・陽葵の立場になってみる。

ストーリー全体では終始スポットライトは湊と美海の純愛に当てられるが、しかしある意味で娘の陽葵が中心であると言っても過言ではない。なぜなら、陽葵が生まれなければこの物語は単なるロマンスで、振った振られたの恋愛のいざこざ、からの不治の病でそれこそ映画としてはありきたりだ。陽葵の存在が、物語をより複合的なものにしている。

思春期の少女が突然に「東京に本当の父親がいる」と言われた時の心境はどうだったろうか。正直、私にとってこれを想像するのはかなり難しい。両親共に健在だが、私もすでにいい加減に歳を取っている。今更「本当の父親は」とか聞かされても「ふーん、あ、そ。」で終わらせそうだ。心底どうでもいい。では云十年前に遡って、あの頃の自分に聞いてみても、やっぱり「ふーん、あ、そ。」で終わらせそうだ。そもそも、私は家族に対しては疎い。別段仲が悪いというわけではないが、父の日、母の日、誕生日、そんなもの祝ったことはないし、「誕生日おめでとう」すら言ったことがない。しまいには友だちや恋人から「もっと親を大切にしろ」と言われる始末だ。それくらい、私にとってはどうでもいい。なんだか湊よりよっぽど冷たい人間みたいに自分でも思えて来たが、しかし私ならたぶん、10年前の恋人が生死の淵を彷徨ってるってなったら会いに行く。

いや、私の話ではなかった。

陽葵の戸籍上の父親・琉晴は「美海の最期を本当の親子三人で過ごさせてやりたい」と陽葵に伝えるのだが、陽葵にとっては湊なんて知らんおじさんである。一体何を思って、沖縄から東京まで湊を探しに出てきたのか。母親から「湊っていう人に会いたいの!」とか言われれば「母の為に」と思うかもしれないが、美海は陽葵が湊を探しに出ていることを知らないから、そんな感情もないだろう。実際「帰りたい」と湊を探し出す前に口から漏れる。

さらに、陽葵は湊に渡すMDの内容を事前に聴く。それは美海が湊宛に録音さたもので、それを聴けば陽葵も自分の母親と湊が互いに愛し合っていたことがわかるだろう。その結果、自分が生まれた。そして、どう思うだろうか。かつて愛し合った仲なのに、母に会いには来ずに自分を帰す男。 陽葵にとってはかなり最低な実父ではないか?ある程度経験を積んだ大人であれば理解を示すかもしれないが、彼女は絶賛思春期で、しかも好きな男の子がいる。そんな陽葵には、湊は心底冷たい人間に映るのではないか。自分の実の父親がこんな最低なヤローだなんて。「母と私を捨てた人間だ」。湊は美海の妊娠を知らなかったとはいえ、 陽葵にとってそんな言い訳は通じない。

仮にすべてを知ったところで、湊に情状酌量の余地はない。陽葵はずっと遺恨を残すだろう。あるいは、どうでもいいと突っぱねるのか。

映画『366日』のクライマックスは美海の死と湊の後悔に寄せられるが、私が感情移入したのはむしろ陽葵である。実の父親に冷たく突き放される娘の立場を想像すると、強い違和感と不快感が残った。

 

こんな人にオススメ!

映画『366日』は、私にとっては遺憾な作品である。私の他にもご都合主義な展開や、キャラクターの行動に違和感を覚える人はいないだろうか。逆に次のような人には強く響く作品となるはずだ。

  • 王道の純愛ストーリーで泣きたい人
  • 運命的な再会や「もしも」をテーマにした映画が好きな人
  • 上白石萌歌や赤楚衛二など出演キャストのファン

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映画『366日』感想レビューのまとめ

一年よりも一日長い「366日」というタイトルの通り、4年に一度のその日の尊さを描いている。しかし私にとっては、キャラクターの行動や展開の必然性に強い違和感が残り、素直に感動できなかったのも事実である。それでも、王道の恋愛映画として涙を流したい人にはピッタリの一本だろう。私の評価は少数派だろうが、観る人の人生経験や価値観によって印象が変わる映画である。

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映画『366日(2025年)』の作品情報まとめ(監督・キャスト・配信情報など)

  • 監督:新城毅彦
  • 出演:赤楚衛二, 上白石萌歌, 中島裕翔, 玉城ティナ, 稲垣来泉, 齋藤潤, 溝端淳平, 石田ひかり, 国仲涼子, 杉本哲太
  • 公開年:2025年
  • 上映時間:123分
  • ジャンル:青春, ロマンス, ドラマ

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